やかなれば、見たる所は目より鼻にぬけるほど華手《はで》には見えねど、不なれながらもよくこちの気を飲み込みて機転もきき、第一心がけの殊勝なるを、図に乗っては口ぎたなくののしりながら、心の底にはあの年ごろでよく気がつくと暗に白状せしこともありしが、今目の前に同じ年ごろのお豊を置きて見れば、是非なく比較はとれて、事ごとに思うまじと思う人を思えるなり。されば日々《にちにち》気にくわぬ事の出《い》で来るごとに、春がすみの化けて出《い》でたる人間の名をお豊と呼ばれて目は細々と口も閉じあえずすわれるかたわらには、いつしか色少し蒼《あお》ざめて髪黒々としとやかなる若き婦人《おんな》の利発らしき目をあげてつくづくとわが顔をながめつつ「いかがでございます?」というようなる心地《ここち》して武男が母は思わずもわななかれつ。「じゃって、病気をすっがわるかじゃなっか」と幾たびか陳弁《いいわけ》すれど、なお妙に胸先《むなさき》に込みあげて来るものを、自己《おのれ》は怒りと思いつつ、果てはまた大声あげて、お豊に当たり散らしぬ。
 されば、広島の旗亭に、山木が田崎に向かいて娘お豊を武男が後妻《こうさい》にとおぼろげならず言い出《い》でしその時は、川島未亡人とお豊の間は去る六|月《げつ》における日清《にっしん》の間よりも危うく、彼出《いだ》すか、われ出《い》づるか、危機はいわゆる一髪にかかりしなりき。

     三の一

 枕《まくら》べ近き小鳥の声に呼びさまされて、武男は目を開きぬ。
 ベッドの上より手を伸ばして、窓かけ引き退《の》くれば、今向こう山を離れし朝日花やかに玻璃窓《はりそう》にさし込みつ。山は朝霧なお白けれど、秋の空はすでに蒼々《あおあお》と澄み渡りて、窓前一樹染むるがごとく紅《くれない》なる桜の梢《こずえ》をあざやかに襯《しん》し出《いだ》しぬ。梢に両三羽の小鳥あり、相語りつつ枝より枝におどれるが、ふと言い合わしたるように玻璃窓のうちをのぞき、半身をもたげたる武男と顔見合わし、驚きたって飛び去りし羽風《はかぜ》に、黄なる桜の一葉ばらりと散りぬ。
 われを呼びさませし朝《あした》の使いは彼なりけるよと、武男はほほえみつ、また枕につかんとして、痛める所あるがごとくいささか眉《まゆ》をひそめつ。すでにしてようやく身をベッドの上に安んじ、目を閉じぬ。
 朝《あした》静かにして、耳わずらわす響《おと》もなし。鶏《とり》鳴き、ふなうた遠く聞こゆ。
 武男は目を開いて笑《え》み、また目を閉じて思いぬ。
       *
 武男が黄海に負傷して、ここ佐世保の病院に身を託せしより、すでに一月余り過ぎんとす。
 かの時、砲台の真中《まなか》に破裂せし敵の大榴弾《だいりゅうだん》の乱れ飛ぶにうたれて、尻居《しりい》にどうと倒れつつはげしき苦痛に一時われを失いしが、苦痛のはなはだしかりしわりに、脚部の傷は二か所とも幸いに骨を避《よ》けて、その他はちとの火傷を受けたるのみ。分隊長は骸《がい》も留めず、同僚は戦死し、部下の砲員無事なるはまれなりしがなかに、不思議の命をとりとめて、この海軍病院に送られつ。最初《はじめ》はさすがに熱もはげしく上りて、ベッドの上のうわ言にも手を戟《ほこ》にして敵艦をののしり分隊長と叫びては医員を驚かししが、もとより血気盛んなる若者の、傷もさまで重きにあらず、時候も秋涼に向かえるおりから、熱は次第に下り、経過よく、膿腫《のうしょう》の患《うれい》もなくて、すでに一月あまり過ぎし今日《きょう》このごろは、なお幾分の痛みをば覚ゆれど、ともすれば石炭酸の臭《か》の満ちたる室をぬけ出《い》でて秋晴《しゅうせい》の庭におりんとしては軍医の小言をくうまでになりつ。この上はただ速《すみ》やかに戦地に帰らんと、ひたすら医の許容《ゆるし》を待てるなりき。
 思いすてて塵芥《ちりあくた》よりも軽かりし命は不思議にながらえて、熱去り苦痛薄らぎ食欲復するとともに、われにもあらで生を楽しむ心は動き、従って煩悩《ぼんのう》もわきぬ。蝉《せみ》は殻を脱げども、人はおのれを脱《のが》れ得ざれば、戦いの熱《ねつ》病《やまい》の熱に中絶《なかた》えし記憶の糸はその体《たい》のやや癒《い》えてその心の平生《へいぜい》に復《かえ》るとともにまたおのずから掀《かか》げ起こされざるを得ざりしなり。
 されど大疾よく体質を新たにするにひとしく、わずかに一紙を隔てて死と相見たるの経験は、武男が記憶を別様に新たならしめたり。激戦、及びその前後に相ついで起こりし異常の事と異常の感は、風雨のごとくその心を簸《ふる》い撼《うご》かしつ。風雨はすでに過ぎたれど、余波はなお心の海に残りて、浮かぶ記憶はおのずから異なる態をとりぬ。武男は母を憤らず、浪子をば今は世になき妻を思うらんようにその心の龕《がん》に祭りて、浪子を思うごとにさながら遠き野末の悲歌を聞くごとく、一種なつかしき哀《かな》しみを覚えしなり。
 田崎来たり見舞いぬ。武男はよりて母の近況を知りまたほのかに浪子の近況《ようす》を聞きぬ。(武男の気をそこなわんことを恐れて、田崎はあえて山木の娘の一条をばいわざりき)武男は浪子の事を聞いて落涙し、田崎が去りし後も、松風さびしき湘南《しょうなん》の別墅《べっしょ》に病める人の面影《おもかげ》は、黄海の戦いとかわるがわる武男が宵々《しょうしょう》の夢に入りつ。
 田崎が東に帰りし後|数日《すじつ》にして、いずくよりともなく一包みの荷物武男がもとに届きぬ。
       *
 武男は今その事を思えるなり。

     三の二

 武男が思えるはこれなり。
 一週|前《ぜん》の事なりき。武男は読みあきし新聞を投げやりて、ベッドの上にあくびしつつ、窓外を打ちながめぬ。同室の士官|昨日《きのう》退院して、室内には彼|一人《ひとり》なりき。時は黄昏《たそがれ》に近く、病室はほのぐらくして、窓外には秋雨滝のごとく降りしきりぬ。隣室の患者に電気かくるにやあらん。じじの響き絶え間なく雨に和して、うたた室内のわびしさを添えつ。聞くともなくその響《おと》に耳を仮して、目は窓に向かえば、吹きしぶく雨|淋漓《りんり》としてガラスにしたたり、しとどぬれたる夕暮れの庭はまだらに現われてまた消えつ。
 茫然《ぼうぜん》としてながめ入りし武男は、たちまち頭《かしら》より毛布《ケット》を引きかつぎぬ。
 五分ばかりたちて、人の入り来る足音して、
 「お荷物が届きました。……おやすみですか」
 頭《かしら》を出《いだ》せば、ベッドの横側に立てるは、小使いなり。油紙包みを抱《いだ》き、廿文字《にじゅうもんじ》にからげし重やかなる箱をさげて立ちたり。
 荷物? 田崎帰りてまだ幾日《いくか》もなきに、たが何を送りしぞ。
 「ああ荷物か。どこからだね?」
 小使いが読める差し出し人は、聞きも知らぬ人の名なり。
 「ちょっとあけてもらおうか」
 油紙を解けば、新聞、それを解けば紫の包み出《い》でぬ。包みを解けば出《い》でたり、ネルの単衣《ひとえ》、柔らかき絹物の袷《あわせ》、白縮緬《しろちりめん》の兵児帯《へこおび》、雪を欺く足袋《たび》、袖《そで》広き襦袢《じゅばん》は脱ぎ着たやすかるべく、真綿の肩ぶとんは長き病床に床ずれあらざれと願うなるべし。箱の内は何ぞ。莎縄《くぐなわ》を解けば、なかんずく好める泡雪梨《あわゆき》の大なるとバナナのあざらけきとあふるるまでに満ちたり。武男の心臓《むね》の鼓動は急になりぬ。
 「手紙も何もはいっていないかね?」
 彼をふるいこれを移せど寸の紙だになし。
 「ちょいとその油紙を」
 包み紙をとりて、わが名を書ける筆の跡を見るより、たちまち胸のふさがるを覚えぬ。武男はその筆を認《したた》めたるなり。
 彼女《かれ》なり。彼女《かれ》なり。彼女《かれ》ならずしてたれかあるべき。その縫える衣の一針ごとに、あとはなけれどまさしくそそげる千|行《こう》の涙《なんだ》を見ずや。その病をつとめて書ける文字の震えるを見ずや。
 人の去るを待ち兼ねて、武男は男泣きに泣きぬ。
       *
 もとより涸《か》れざる泉は今新たに開かれて、武男は限りなき愛の滔々《とうとう》としてみなぎるを覚えつ。昼は思い、夜《よ》は彼女《かれ》を夢みぬ。
 されど夢ほどに世は自由ならず。武男はもとより信じて思いぬ、二人《ふたり》が間は死だもつんざくあたわじと。いわんや区々たる世間の手続きをや。されどもその心を実にせんとしては、その区々たる手続き儀式が企望と現実の間に越ゆべからざる障壁として立てるを覚えざるあたわざりき。世はいかにすとも、彼女《かれ》は限りなくわが妻なり。されど母はわが名によって彼女《かれ》を離別し、彼女《かれ》が父は彼女《かれ》に代わって彼女《かれ》を引き取りぬ。世間の前に二人が間は絶えたるなり。平癒《へいゆ》を待って一たび東に帰り、母にあい、浪子を訪《と》うて心を語り、再び彼女《かれ》を迎えんか。いかに自ら欺くも、武男はいわゆる世間の義理体面の上よりさることのなすべくまたなしうべきを思い得ず、事は成らずして畢竟《ひっきょう》再び母とわれとの間を前にも増して乖離《かいり》せしむるに過ぎざるべきを思いぬ。母に逆らうの苦はすでになめたり。
 広い宇宙に生きて思わぬ桎梏《かせ》にわが愛をすら縛らるるを、歯がゆしと思えど、武男は脱《のが》るる路《みち》を知らず、やる方《かた》なき懊悩《おうのう》に日また日を送りつつ、ただ生死《しょうし》ともにわが妻は彼女《かれ》と思いてわずかに自ら慰めあわせて心に浪子をば慰めけるなり。
 今朝《けさ》も夢さめて武男が思える所は、これなりき。
 この朝軍医が例のごとく来たり診して、傷のいよいよ全癒に向かうに満足を表して去りし後、一封の書は東京なる母より届きぬ。書中には田崎帰りていささか安堵《あんど》せるを書き、かついささか話したき事もあれば、医師の許可《ゆるし》次第ひとまず都合して帰京すべしと書きたり。話したき事! もしくは彼がもっとも忌みかつ恐るるある事にはあらざるか。武男は打ち案じぬ。
 武男はついに帰京せざりき。
 十一月初旬、彼とひとしく黄海に手負いし彼が乗艦松島の修繕終わりて戦地に向かいしと聞くほどもなく、わずかに医師の許容《ゆるし》を得たる武男は、請うて運送船に便乗し、あたかも大連湾を取って同湾《ここ》に碇泊《ていはく》せる艦隊に帰り去りぬ。
 佐世保を出発する前日、武男は二通の書を投函《とうかん》せり。一はその母にあてて。

     四の一

 秋風吹き初《そ》めて、避暑の客は都に去り、病を養う客《ひと》ならでは留《とど》まる者なき九月|初旬《はじめ》より、今ここ十一月|初旬《はじめ》まで、日の温《あたた》かに風なき時をえらみて、五十あまりの婢《おんな》に伴なわれつつ、そぞろに逗子《ずし》の浜べを運動する一人《ひとり》の淑女ありき。
 やせにやせて砂に落つ影も細々といたわしき姿を、網|曳《ひ》く漁夫、日ごと浜べを歩む病客も皆見るに慣れて、あうごとに頭《かしら》を下げぬ。たれつたうともなくほのかにその身の上をば聞き知れるなりけり。
 こは浪子なりき。
 惜しからぬ命つれなくもなお永《なが》らえて、また今年の秋風を見るに及べるなり。
       *
 浪子は去る六月の初め、伯母《おば》に連れられて帰京し、思いも掛けぬ宣告を伝え聞きしその翌日より、病は見る見る重り、前後を覚えぬまで胸を絞って心血の紅《くれない》なるを吐き、医は黙し、家族《やから》は眉《まゆ》をひそめ、自己《おのれ》は旦夕《たんせき》に死を待ちぬ。命は実に一縷《いちる》につながれしなりき。浪子は喜んで死を待ちぬ。死はなかなかうれしかりき。何思う間もなくたちまち深井《しんせい》の暗黒《くらき》におちたるこの身は、何の楽しみあり、何のかいありて、世に永《なが》らえんとはすべき。たれを恨み、たれを恋う、さる念は形をなす余裕《ひま》もなくて、ただ身をめぐる暗黒の恐ろしくいとわしく、早くこのうちを脱《のが》れんと思うのみ。死は
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