母《おっか》さんはからだばッかり大事にして、名誉も体面も情もちょっとも思ってくださらんのですな。あんまりです」
 「武男、卿《おまえ》はの、男かい。女じゃあるまいの。親にわび言《ごと》いわせても、やっぱい浪が恋しかかい。恋しかかい。恋しかか」
 「だッて、あんまりです、実際あんまりです」
 「あんまいじゃッて、もう後《あと》の祭《まつい》じゃなッか。あっちも承知して、きれいに引き取ったあとの事じゃ。この上どうすッかい。女々《めめ》しか事をしなはッと、親の恥ばッかいか、卿《おまえ》の男が立つまいが」
 黙然《もくねん》と聞く武男は断《き》れよとばかり下くちびるをかみつ。たちまち勃然《ぼつねん》と立ち上がって、病妻にもたらし帰りし貯林檎《かこいりんご》の籠《かご》をみじんに踏み砕き、
 「母《おっか》さん、あなたは、浪を殺し、またそのうえにこの武男をお殺しなすッた。もうお目にかかりません」
       *
 武男は直ちに横須賀なる軍艦に引き返しぬ。
 韓山《かんざん》の風雲はいよいよ急に、七|月《げつ》の中旬|廟堂《びょうどう》の議はいよいよ清国《しんこく》と開戦に一決して、同月十八日には樺山《かばやま》中将新たに海軍軍令部長に補せられ、武男が乗り組める連合艦隊旗艦松島号は他の諸艦を率いて佐世保に集中すべき命を被《こうむ》りつ。捨てばちの身は砲丸の的《まと》にもなれよと、武男はまっしぐらに艦《ふね》とともに西に向かいぬ。
       *
 片岡陸軍中将は浪子の帰りしその翌日より、自らさしずして、邸中の日あたりよく静かなるあたりをえらびて、ことに浪子のために八畳一間六畳二間四畳一間の離家《はなれ》を建て、逗子より姥《うば》のいくを呼び寄せて、浪子とともにここに棲《す》ましつ。九月にはいよいよ命ありて現役に復し、一|夕《せき》夫人|繁子《しげこ》を書斎に呼びて懇々浪子の事を託したる後、同十三日|大纛《だいとう》に扈従《こしょう》して広島大本営におもむき、翌月さらに大山大将《おおやまたいしょう》山路《やまじ》中将と前後して遼東《りょうとう》に向かいぬ。
 われらが次を逐《お》うてその運命をたどり来たれる敵も、味方も、かの消魂も、この怨恨《えんこん》も、しばし征清《せいしん》戦争の大渦に巻き込まれつ。
[#改丁]


  下 編

     一の一

 明治二十七年九月十六日午後五時、わが連合艦隊は戦闘準備を整えて大同江口《だいどうこうこう》を発し、西北に向かいて進みぬ。あたかも運送船を護して鴨緑江口《おうりょっこうこう》付近に見えしという敵の艦隊を尋ねいだして、雌雄を一戦に決せんとするなり。
 吉野《よしの》を旗艦として、高千穂《たかちほ》、浪速《なにわ》、秋津洲《あきつしま》の第一遊撃隊、先鋒《せんぽう》として前にあり。松島を旗艦として千代田《ちよだ》、厳島《いつくしま》、橋立《はしだて》、比叡《ひえい》、扶桑《ふそう》の本隊これに続《つ》ぎ、砲艦|赤城《あかぎ》及び軍《いくさ》見物と称する軍令部長を載せし西京丸《さいきょうまる》またその後ろにしたがいつ。十二隻の艨艟《もうどう》一縦列をなして、午後五時大同江口を離れ、伸びつ縮みつ竜のごとく黄海の潮《うしお》を巻いて進みぬ。やがて日は海に入りて、陰暦八月十七日の月東にさし上り、船は金波銀波をさざめかして月色《げっしょく》のうちをはしる。
 旗艦松島の士官次室《ガンルーム》にては、晩餐《ばんさん》とく済みて、副直その他要務を帯びたるは久しき前に出《い》で去りたれど、なお五六人の残れるありて、談まさに興に入れるなるべし。舷窓《げんそう》をば火光《あかり》を漏らさじと閉ざしたれば、温気|内《うち》にこもりて、さらぬだに血気盛りの顔はいよいよ紅《くれない》に照れり。テーブルの上には珈琲碗《かひわん》四つ五つ、菓子皿はおおむねたいらげられて、ただカステーラの一片がいづれの少将軍に屠《ほふ》られんかと兢々《きょうきょう》として心細げに横たわるのみ。
 「陸軍はもう平壌《へいじょう》を陥《おと》したかもしれないね」と短小|精悍《せいかん》とも言いつべき一少尉は頬杖《ほおづえ》つきたるまま一座を見回したり。「しかるにこっちはどうだ。実に不公平もまたはなはだしというべしじゃないか」
 でっぷりと肥えし小主計は一隅《いちぐう》より莞爾《かんじ》と笑いぬ。「どうせ幕が明くとすぐ済んでしまう演劇《しばい》じゃないか。幕合《まくあい》の長いのもまた一興だよ」
 「なんて悠長《ゆうちょう》な事を言うから困るよ。北洋艦隊《ぺいやん》相手の盲捉戯《めくらおにご》ももうわが輩はあきあきだ。今度もかけちがいましてお目にかからんけりゃ、わが輩は、だ、長駆|渤海《ぼっかい》湾に乗り込んで、太沽《ターク》の砲台に砲丸の一つもお見舞い申さんと、堪忍袋《かんにんぶくろ》がたまらん」
 「それこそ袋のなかに入るも同然、帰路を絶たれたらどうです?」まじめに横槍《よこやり》を入るるは候補生の某なり。
 「何、帰路を絶つ? 望む所だ。しかし悲しいかな君の北洋艦隊はそれほど敏捷《びんしょう》にあらずだ。あえてけちをつけるわけじゃないが、今度も見参はちとおぼつかないね。支那人の気の長いには実に閉口する」
 おりから靴音の近づきて、たけ高き一少尉入り口に立ちたり。
 短小少尉はふり仰ぎ「おお航海士、どうだい、なんにも見えんか」
 「月ばかりだ。点検が済んだら、すべからく寝て鋭気を養うべしだ」言いつつ菓子皿に残れるカステーラの一片を頬《ほお》ばり「むむ、少し……甲板《かんぱん》に出ておると……腹が減るには驚く。――従卒《ボーイ》、菓子を持って来い」
 「君も随分食うね」と赤きシャツを着たる一少尉は微笑《ほほえ》みつ。
 「借問《しゃもん》す君はどうだ。菓子を食って老人組を罵倒《ばとう》するは、けだしわが輩|士官次室《ガンルーム》の英雄の特権じゃないか。――どうだい、諸君、兵はみんな明日《あす》を待ちわびて、目がさえて困るといってるぞ。これで失敗があったら実に兵の罪にあらず、――の罪だ」
 「わが輩は勇気については毫《ごう》も疑わん。望む所は沈勇、沈勇だ。無手法《むてっぽう》は困る」というはこの仲間にての年長なる甲板士官《メート》。
 「無手法といえば、○番分隊士は実に驚くよ」と他の一|人《にん》はことばをさしはさみぬ。「勉励も非常だが、第一いかに軍人は生命《いのち》を愛《お》しまんからッて、命の安売りはここですと看板もかけ兼ねん勢いはあまりだと思うね」
 「ああ、川島か、いつだッたか、そうそう、威海衛砲撃の時だッてあんな険呑《けんのん》な事をやったよ。川島を司令長官にしたら、それこそ三番分隊士《さんばん》じゃないが、艦隊を渤海湾に連れ込んで、太沽《ターク》どころじゃない、白河《ペイホー》をさかのぼって李《リー》のおやじを生けどるなんぞ言い出すかもしれん」
 「それに、ようすが以前《まえ》とはすっかり違ったね。非常に怒《おこ》るよ。いつだッたか僕が川島男爵夫人《バロネスかわしま》の事についてさ、少しからかいかけたら、まっ黒に怒って、あぶなく鉄拳《てっけん》を頂戴《ちょうだい》する所さ。僕は鎮遠の三十サンチより実際○番分隊士の一拳を恐るるね。はははは何か子細があると思うが、赤襯衣《ガリバルジー》君、君は川島と親しくするから恐らく秘密を知っとるだろうね」
 と航海士はガリバルジーといわれし赤シャツ少尉の顔を見たり。
 おりから従卒《ボーイ》のうずたかく盛れる菓子皿持ち来たりて、士官次室《ガンルーム》の話はしばし腰斬《ようざん》となりぬ。

     一の二

 夜十時点検終わり、差し当たる職務なきは臥《ふ》し、余はそれぞれ方面の務めに就《つ》き、高声火光を禁じたれば、上《じょう》甲板も下《げ》甲板も寂《せき》としてさながら人なきようになりぬ。舵手《だしゅ》に令する航海長の声のほかには、ただ煙突の煙《けぶり》のふつふつとして白く月にみなぎり、螺旋《スクルー》の波をかき、大いなる心臓のうつがごとく小止《おや》みなき機関の響きの艦内に満てるのみ。
 月影白き前艦橋に、二個の人影《じんえい》あり。その一は艦橋の左端に凝立して動かず。一は靴音静かに、墨より黒き影をひきつつ、五歩にして止《とど》まり、十歩にして返る。
 こは川島武男なり。この艦《ふね》の○番分隊士として、当直の航海長とともに、副直の四時間を艦橋に立てるなり。
 彼は今艦橋の右端に達して、双眼鏡をあげつ、艦の四方を望みしが、見る所なきもののごとく、右手《めて》をおろして、左手《ゆんで》に欄干を握りて立ちぬ。前部砲台の方《かた》より士官|二人《ふたり》、低声《こごえ》に相語りつつ艦橋の下を過ぎしが、また陰の暗きに消えぬ。甲板の上|寂《せき》として、風冷ややかに、月はいよいよ冴《さ》えつ。艦首にうごめく番兵の影を見越して、海を望めば、ただ左舷《さげん》に淡き島山と、見えみ見えずみ月光のうちを行く先艦|秋津洲《あきつしま》をのみ隈《くま》にして、一艦のほか月に白《しら》める黄海の水あるのみ。またひとしきり煙に和して勢いよく立ち上る火花の行くえを目送《みおく》れば、大檣《たいしょう》の上高く星を散らせる秋の夜の空は湛《たた》えて、月に淡き銀河一道、微茫《びぼう》として白く海より海に流れ入る。
       *
 月は三たびかわりぬ。武男が席を蹴《け》って母に辞したりしより、月は三たび移りぬ。
 この三月の間《ま》に、彼が身生はいかに多様の境界《きょうがい》を経来たりしぞ。韓山の風雲に胸をおどらし、佐世保の湾頭には「今度この節国のため、遠く離れて出《い》でて行く」の離歌に腸《はらわた》を断ち、宣戦の大詔に腕を扼《とりしば》り、威海衛の砲撃に初めて火の洗礼を授けられ、心をおどろかし目を驚かすべき事は続々起こり来たりて、ほとんど彼をして考うるの暇《いとま》なからしめたり。多謝す、これがために武男はその心をのみ尽くさんとするあるものをば思わずして、わずかにわれを持したるなりき。この国家の大事に際しては、渺《びょう》たる滄海《そうかい》の一|粟《ぞく》、自家《われ》川島武男が一身の死活浮沈、なんぞ問うに足らんや。彼はかく自ら叱《しっ》し、かの痛をおおうてこの職分の道に従い、絶望の勇をあげて征戦の事に従えるなり。死を彼は真に塵《ちり》よりも軽く思えり。
 されど事もなき艦橋の上の夜《よ》、韓海の夏暑くしてハンモックの夢結び難き夜《よ》は、ともすれば痛恨|潮《うしお》のごとくみなぎり来たりて、丈夫《ますらお》の胸裂けんとせしこと幾たびぞ。時はうつりぬ。今はかの当時、何を恥じ、何を憤《いか》り、何を悲しみ、何を恨むともわかち難き感情の、腸《はらわた》に沸《たぎ》りし時は過ぎて、一片の痛恨深く痼《こ》して、人知らずわが心を蝕《くら》うのみ。母はかの後二たび書を寄せ物を寄せてつつがなく帰り来たるの日を待つと言い送りぬ。武男もさすがに老いたる母の膝下《しっか》さびしかるべきを思いては、かの時の過言を謝して、その健康を祈る由書き送りぬ。されど解きても融《と》け難き一塊の恨みは深く深く胸底に残りて、彼が夜々ハンモックの上に、北洋艦隊の殲滅《せんめつ》とわが討死《うちじに》の夢に伴なうものは、雪白《せっぱく》の肩掛《ショール》をまとえる病めるある人の面影《おもかげ》なりき。
 消息絶えて、月は三たび移りぬ。彼女なお生きてありや、なしや。生きてあらん。わが忘るる日なきがごとく、彼も思わざるの日はなからん。共に生き共に死なんと誓いしならずや。
 武男はかく思いぬ。さらに最後に相見し時を思いぬ。五日の月松にかかりて、朧々《ろうろう》としたる逗子の夕べ、われを送りて門《かど》に立ち出《い》で、「早く帰ってちょうだい」と呼びし人はいずこぞ。思い入りてながむれば、白き肩掛《ショール》をまとえる姿の、今しも月光のうちより歩み出《い》で来たらん心地《ここち》すなり。
 明日《あす》にもあれ、首尾よく敵の艦隊に会して、この身砲弾の
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