り。とにかく種々|嫌疑《けんぎ》の雲は千々岩の上におおいかかりてあれば、この上とても千々岩には心して、かつ自ら戒飭《かいちょく》するよう忠告せよと、参謀本部に長たる某将軍とは爾汝《じじょ》の間なる舅《しゅうと》中将の話なりき。
 「困った男だ」
 かくひとりごちて、武男はまた千々岩の名刺を打ちながめぬ。しかも今の武男は長く不快に縛らるるあたわざるなり。何も直接にあいて問いただしたる上と、思い定めて、心はまた翻然として今の楽しきに返れる時、服《きもの》をあらためし浪子は手ずから紅茶を入れてにこやかに入り来たりぬ。
 「おお紅茶、これはありがたい」椅子を離れて火鉢《ひばち》のそばにあぐらかきつつ、
 「母《おっか》さんは?」
 「今おやすみ遊ばしました」紅茶の熱きをすすめつつ、なお紅《くれない》なる良人《おっと》の面《かお》をながめ「あなた、お頭痛が遊ばすの? お酒なんぞ、召し上がれないのに、あんなに母がおしいするものですから」
 「なあに――今日は実に愉快だったね、浪さん。阿舅《おとっさん》のお話がおもしろいものだから、きらいな酒までつい過ごしてしまった。はははは、本当に浪さんはいいおと
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