て、正面の床の間には父が遺愛の備前兼光《びぜんかねみつ》の一刀を飾り、士官帽と両眼鏡と違い棚に、短剣は床柱にかかりぬ。写真額|数多《あまた》掛けつらねたるうちには、その乗り組める軍艦のもあり、制服したる青年のおおぜいうつりたるは、江田島《えたじま》にありけるころのなるべし。テーブルの上にも二三の写真を飾りたり。両親並びて、五六歳の男児《おのこ》の父の膝に倚《よ》りたるは、武男が幼きころの紀念なり。カビネの一人《ひとり》撮《うつ》しの軍服なるは乃舅《しゅうと》片岡中将なり。主人が年若く粗豪なるに似もやらず、几案《きあん》整然として、すみずみにいたるまで一点の塵《ちり》を留《とど》めず、あまつさえ古銅|瓶《へい》に早咲きの梅一両枝趣深く活《い》けたるは、温《あたた》かき心と細かなる注意と熟練なる手と常にこの室《へや》に往来するを示しぬ。げにその主《ぬし》は銅瓶の下《もと》に梅花の香《かおり》を浴びて、心臓形の銀の写真掛けのうちにほほえめるなり。ランプの光はくまなく室のすみずみまでも照らして、火桶《ひおけ》の炭火は緑の絨氈《じゅうたん》の上に紫がかりし紅《くれない》の焔《ほのお》を吐きぬ。

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