せられ、「母《おっか》さん、そんな事しなくたって、菓子なら風月《ふうげつ》からでもお取ンなさい」と時たま帰って来て武男が言えど、やはり手製の田舎羊羹《いなかようかん》むしゃりむしゃりと頬《ほお》ばらるるというふうなれば、姥《うば》の幾が浪子について来しすら「大家《たいけ》はどうしても違うもんじゃ、武男が五器|椀《わん》下げるようにならにゃよいが」など常に当てこすりていられたれば、幾の排斥もあながち障子の外の立ち聞きゆえばかりではあらざりしなるべし。
 悧巧《りこう》なようでも十八の花嫁、まるきり違いし家風のなかに突然入り込みては、さすが事ごとに惑えるも無理にはあらじ。されども浪子は父の訓戒《いましめ》ここぞと、われを抑《おさ》えて何も家風に従わんと決心の臍《ほぞ》を固めつ。その決心を試むる機会は須臾《すゆ》に来たりぬ。
 伊香保より帰りてほどなく、武男は遠洋航海におもむきつ。軍人の妻となる身は、留守がちは覚悟の上なれど、新婚間もなき別離はいとど腸《はらわた》を断ちて、その当座は手のうちの玉をとられしようにほとほと何も手につかざりし。
 おとうさまが縁談の初めに逢《あ》いたもうて至極気に
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