《はしご》の音して、宿の女中《おんな》は上り来つ。
「おや、恐れ入ります。旦那様は大層ごゆっくりでいらっしゃいます。……はい、あのいましがた若い者をお迎えに差し上げましてございます。もうお帰りでございましょう。――お手紙が――」
「おや、お父《とう》さまのお手紙――早くお帰りなさればいいに!」と丸髷《まるまげ》の婦人はさもなつかしげに表書《うわがき》を打ちかえし見る。
「あの、殿様の御状で――。早く伺いたいものでございますね。おほほほほ、きっとまたおもしろいことをおっしゃってでございましょう」
女中《おんな》は戸を立て、火鉢《ひばち》の炭をついで去れば、老女は風呂敷包《ふろしきづつ》みを戸棚《とだな》にしまい、立ってこなたに来たり、
「本当に冷えますこと! 東京《あちら》とはよほど違いますでございますねエ」
「五月に桜が咲いているくらいだからねエ。ばあや、もっとこちらへお寄りな」
「ありがとうございます」言いつつ老女はつくづく顔打ちながめ「うそのようでございますねエ。こんなにお丸髷《まげ》にお結い遊ばして、ちゃんとすわっておいで遊ばすのを見ますと、ばあやがお育て申し上げた
前へ
次へ
全313ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング