やらの一|人《にん》なり。出世の初め、今は故人となりし武男が父の世話を受けしこと少なからざれば、今も川島家に出入りすという。それも川島家が新華族中にての財産家なるがゆえなりという者あれど、そはあまりに酷なる評なるべし。本宅を芝桜川町《しばさくらがわちょう》に構えて、別荘を橋場の渡しのほとりに持ち、昔は高利も貸しけるが、今はもっぱら陸軍その他官省の請負を業とし、嫡男を米国ボストンの商業学校に入れて、女《むすめ》お豊はつい先ごろまで華族女学校に通わしつ。妻はいついかにして持ちにけるや、ただ京都者というばかり、すこぶる醜きを、よくかの山木は辛抱するぞという人もありしが、実は意気|婀娜《あだ》など形容詞のつくべき女諸処に家居《いえい》して、輪番《かわるがわる》行く山木を待ちける由は妻もおぼろげならずさとりしなり。

     四の四

 床には琴、月琴、ガラス箱入りの大人形などを置きたり。すみには美しき女机あり、こなたには姿見鏡《すがたみ》あり。いかなる高貴の姫君や住みたもうらんと見てあれば、八畳のまんなかに絹ぶとん敷かせて、玉蜀黍《とうもろこし》の毛を束《つか》ねて結ったようなる島田を大童《
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