引き裂きて屑籠《くずかご》に投げ込みぬ。
 さりながら千々岩はいかなる場合にも全くわれを忘れおわる男にあらざれば、たちまちにして敗余の兵を収めつ。ただ心外なるはこの上かの艶書《ふみ》の一条もし浪子より中将に武男に漏れなば大事の便宜《たより》を失う恐れあり。持ち込みよき浪子の事なれば、まさかと思えどまたおぼつかなく、高崎に用ありて行きしを幸い、それとなく伊香保に滞留する武男夫妻を訪《と》うて、やがて探りを入れたるなり。
 いまいましきは武男――
       *
 「武男、武男」と耳近にたれやら呼びし心地《ここち》して、愕《がく》と目を開きし千々岩、窓よりのぞけば、列車はまさに上尾《あげお》の停車場《ステーション》にあり。駅夫が、「上尾上尾」と呼びて過ぎたるなり。
 「ばかなッ!」
 ひとり自らののしりて、千々岩は起《た》ちて二三度車室を往《ゆ》き戻りつ。心にまとう或《あ》るものを振り落とさんとするように身震いして、座にかえりぬ。冷笑の影、目にも唇《くちびる》にも浮かびたり。
 列車はまたも上尾を出《い》でて、疾風のごとく馳《は》せつつ、幾駅か過ぎて、王子《おうじ》に着きける時、プラット
前へ 次へ
全313ページ中33ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング