ぎり》のうちに浮かみつ。新婚の日、伊香保の遊、不動祠畔《ふどうしはん》の誓い、逗子《ずし》の別墅《べっしょ》に別れし夕べ、最後に山科《やましな》に相見しその日、これらは電光《いなずま》のごとくしだいに心に現われぬ。「早く帰ってちょうだい!」と言いし言《ことば》は耳にあれど、一たび帰れば彼女《かれ》はすでにわが家《や》の妻ならず、二たび帰りし今日はすでにこの世の人ならず。
「ああ、浪さん、なぜ死んでしまった!」
われ知らず言いて、涙《なんだ》は新たに泉とわきぬ。
一陣の風頭上を過ぎて、桜の葉はらはらと墓標をうって翻りつ。ふと心づきて武男は涙《なんだ》を押しぬぐいつつ、墓標の下《もと》に立ち寄りて、ややしおれたる花立ての花を抜きすて、持《も》て来し白菊をさしはさみ、手ずから落ち葉を掃い、内ポッケットをかい探りて一通の書を取り出《い》でぬ。
こは浪子の絶筆なり。今日加藤子爵夫人の手より受け取りて読みし時の心はいかなりしぞ。武男は書をひらきぬ。仮名書きの美しかりし手跡は痕《あと》もなく、その人の筆かと疑うまで字はふるい墨はにじみて、涙のあと斑々《はんはん》として残れるを見ずや。
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