なここにおる」
空《くう》を見詰めし浪子の目は次第に動きて、父中将の涙に曇れる目と相会いぬ。
「おとうさま――おだいじに」
ほろほろ涙をこぼしつつ、浪子はわずかに右手《めて》を移して、その左を握れる父の手を握りぬ。
「お母さま」
子爵夫人は進みて浪子の涙をぬぐいつ。浪子はその手を執り
「お母さま――御免――遊ばして」
子爵夫人の唇はふるい、物を得言わず顔打ちおおいて退きぬ。
加藤子爵夫人は泣き沈む千鶴子を励ましつつ、かわるがわる進みて浪子の手を握り、駒子も進みて姉の床ぎわにひざまずきぬ。わななく手をあげて、浪子は妹の前髪をかいなでつ。
「駒《こう》ちゃん――さよなら――」
言いかけて、苦しき息をつけば、駒子は打ち震いつつ一匕《ひとさじ》の赤酒を姉の唇に注ぎぬ。浪子は閉じたる目を開きつつ、見回して
「毅一《きい》さん――道《みい》ちゃん――は?」
二人の小児《こども》は子爵夫人の計らいとして、すでに月の初めより避暑におもむけるなり。浪子はうなずきて、ややうっとりとなりつ。
この時座末に泣き浸りたる幾は、つと身を起こして、力なくたれし浪子の手をひしと両手に握りぬ。
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