つけて一編未熟の小説を起草して国民新聞に掲げ、後一冊として民友社から出版したのがこの小説不如帰である。
で、不如帰のまずいのは自分が不才のいたすところ、それにも関せず読者の感を惹《ひ》く節《ふし》があるなら、それは逗子の夏の一夕にある婦人の口に藉《か》って訴えた「浪子」が自ら読者諸君に語るのである。要するに自分は電話の「線《はりがね》」になったまでのこと。
明治四十二年二月二日 昔の武蔵野今は東京府下[#この行はポイントを下げ、「昔の武蔵野今は東京府下」は地より11字上げ]
北多摩郡千歳村粕谷の里にて[#この行はポイントを下げ、は地より7字上げ]
徳冨健次郎識[#この行はポイントを上げ、は地より3字上げ]
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不如帰《ほととぎす》
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上 編
一の一
上州《じょうしゅう》伊香保千明《いかほちぎら》の三階の障子《しょうじ》開きて、夕景色《ゆうげしき》をながむる婦人。年は十八九。品よき丸髷《まげ》に結いて、草色の紐《ひも》つけし小紋縮緬《こもんちりめん》の被布《ひふ》を着たり。
色白の細面《ほそおもて》、眉《まゆ》の間《あわ
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