に「浪さん」を連れて京阪《けいはん》の遊《ゆう》をした事、川島家《かわしまけ》からよこした葬式の生花《しょうか》を突っ返した事、単にこれだけが話のなかの事実であった。婦人は鼻をつまらせつつしみじみ話す。自分は床柱《とこばしら》にもたれてぼんやりきいている。妻《さい》は頭《かしら》をたれている。日はいつか暮れてしもうた。古びた田舎家《いなかや》の間内《まうち》が薄ぐらくなって、話す人の浴衣《ゆかた》ばかり白く見える。臨終のあわれを話して「そうお言いだったそうですってね――もうもう二度と女なんかに生まれはしない」――言いかけて婦人はとうとう嘘唏《きょき》して話をきってしもうた。自分の脊髄《せきずい》をあるものが電《いなずま》のごとく走った。
婦人は間もなく健康になって、かの一|夕《せき》の談《はなし》を置《お》き土産《みやげ》に都に帰られた。逗子の秋は寂しくなる。話の印象はいつまでも消えない。朝な夕な波は哀音を送って、蕭瑟《しょうしつ》たる秋光の浜に立てば影なき人の姿がつい眼前《めさき》に現われる。かあいそうは過ぎて苦痛になった。どうにかしなければならなくなった。そこで話の骨に勝手な肉を
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