服に身を包み、人を避け、公会の招きを辞して、ただ日々《にちにち》浪子を連れては彼女《かれ》が意のむかうままに、博覧会を初め名所|古刹《こさつ》を遊覧し、西陣に織り物を求め、清水《きよみず》に土産《みやげ》を買い、優遊の限りを尽くして、ここに十余日を過ぎぬ。世間《よ》はしばし中将の行くえを失いて、浪子ひとりその父を占めけるなり。
 「黄檗《おうばく》を出れば日本の茶摘みかな」茶摘みの盛季《さかり》はとく過ぎたれど、風は時々|焙炉《ほうろ》の香を送りて、ここそこに二番茶を摘む女の影も見ゆなり。茶の間々《あいあい》は麦黄いろく熟《う》れて、さくさくと鎌《かま》の音聞こゆ。目を上ぐれば和州の山遠く夏がすみに薄れ、宇治川は麦の穂末を渡る白帆《しらほ》にあらわれつ。かなたに屋根のみ見ゆる村里より午鶏の声ゆるく野づらを渡り来て、打ち仰ぐ空には薄紫に焦がれし雲ふわふわと漂いたり。浪子は吐息つきぬ。
 たちまち左手《ゆんで》の畑|路《みち》より、夫婦と見ゆる百姓二人話しもて出《い》で来たりぬ。午餉《ひるげ》を終えて今しも圃《はた》に出《い》で行くなるべし。男は鎌を腰にして、女は白手ぬぐいをかむり、歯を染
前へ 次へ
全313ページ中288ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング