《おも》いて居たもうを、いかなれば夫妻の縁は絶えけるぞ。良人の心は血よりも紅《くれない》に注がれてこの書中にあるならずや。現にこの春この岩の上に、二人並びて、万世《よろずよ》までもと誓いしならずや。海も知れり。岩も記すべし。さるをいかなれば世はほしいままに二人が間を裂きたるぞ。恋しき良人、なつかしき良人、この春この岩の上に、岩の上――。
 浪子は目を開きぬ。身はひとり岩の上に坐《ざ》せり。海は黙々として前にたたえ、後ろには滝の音ほのかに聞こゆるのみ。浪子は顔打ちおおいつつむせびぬ。細々とやせたる指を漏りて、涙ははらはらと岩におちたり。
 胸は乱れ、頭《かしら》は次第に熱して、縦横に飛びかう思いは梭《おさ》のごとく過去《こしかた》を一目に織り出《いだ》しつ。浪子は今年の春良人にたすけ引かれてこの岩に来たりし時を思い、発病の時を思い、伊香保に遊べる時を思い、結婚の夕べを思いぬ。伯母に連れられて帰京せし時、むかしむかしその母に別れし時、母の顔、父の顔、継母、妹を初めさまざまの顔は雷光《いなずま》のごとくその心の目の前を過ぎつ。浪子はさらに昨日《きのう》千鶴子より聞きし旧友の一人《ひとり》を思
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