を聞きつつ、この上の欲には浪子が早く全快してここにわが帰りを待っているようにならばなど今日立ち寄りて来し逗子の様子思い浮かべながら、陶然とよき心地《ここち》になりて浴を出《い》で、使女《おんな》が被《はお》る平生服《ふだんぎ》を無造作に引きかけて、葉巻握りし右手《めて》の甲に額をこすりながら、母が八畳の居間に入り来たりぬ。
小間使いに肩|揉《ひね》らして、羅宇《らう》の長き煙管《きせる》にて国分《こくぶ》をくゆらしいたる母は目をあげ「おお早上がって来たな。ほほほほほ、おとっさまがちょうどそうじゃったが――そ、その座ぶとんにすわッがいい。――松、和女郎《おまえ》はもうよかで、茶を入れて来なさい」と自ら立って茶棚《ちゃだな》より菓子鉢を取り出《い》でつ。
「まるでお客様ですな」
武男は葉巻を一吸い吸いて碧《あお》き煙《けぶり》を吹きつつ、うちほほえむ。
「武どん、よう帰ったもった。――実はその、ちっと相談もあるし、是非《ぜっひ》帰ってもらおうと思ってた所じゃった。まあ帰ってくれたで、いい都合ッごあした。逗子――寄って来《き》つろの?」
逗子はしげく往来するを母のきらうはよく知れど
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