き出《い》でたるを覚えつ。遠洋航海より帰り来て、浪子のやせしを見たる武男が、粗豪なる男心にも留守の心づかいをくみて、いよいよいたわるをば、いささか苦々《にがにが》しく姑の思える様子は、怜悧《さと》き浪子の目をのがれず。時にはかの孝――姑のいわゆる――とこの愛の道と、一時に踏み難く岐《わか》るることあるを、浪子はひそかに思い悩めるなり。
「奥様、加藤様のお嬢様がおいで遊ばしましてございます」
と呼ぶ婢《おんな》の声に、浪子はぱっちり目を開きつ。入り来る客《ひと》を見るより喜色はたちまち眉間《びかん》に上りぬ。
「あ、お千鶴《ちず》さん、よく来たのね」
三の二
「今日はどんな?」
藤色《ふじいろ》縮緬《ちりめん》のおこそ頭巾《ずきん》とともに信玄袋をわきへ押しやり、浪子の枕べ近く立ち寄るは島田の十七八、紺地|斜綾《はすあや》の吾妻《あずま》コートにすらりとした姿を包んで、三日月眉《みかづきまゆ》におやかに、凛々《りり》しき黒目がちの、見るからさえざえとした娘。浪子が伯母加藤子爵夫人の長女、千鶴子というはこの娘《こ》なり。浪子と千鶴子は一歳《ひとつ》違いの従姉妹《いと
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