じゃったのう。」
 「はあ、今日《きょう》は、なんです、加藤へ寄りますとね、赤坂へ行くならちょうどいいからいっしょに行こうッて言いましてな、加藤さんも伯母《おば》さんもそれから千鶴子《ちずこ》さんも、総勢五人で出かけたのです。赤坂でも非常の喜びで、幸い客はなし、話がはずんで、ついおそくなってしまったのです――ああ酔った」と熟せる桃のごとくなれる頬《ほお》をおさえつ、小間使いが持て来し茶をただ一息に飲みほす。
 「そうかな。そいはにぎやかでよかったの。赤坂でもお変わりもないじゃろの、浪どん?」
 「はい、よろしく申し上げます、まだ伺いもいたしませんで、……いろいろお土産《みや》をいただきまして、くれぐれお礼申し上げましてございます」
 「土産《みやげ》といえば、浪さん、あれは……うんこれだ、これだ」と浪子がさし出す盆を取り次ぎて、母の前に差し置く。盆には雉子《きじ》ひとつがい、鴫《しぎ》鶉《うずら》などうずたかく積み上げたり。
 「御猟の品かい、これは沢山に――ごちそうがでくるの」
 「なんですよ、母《おっか》さん、今度は非常の大猟だったそうで、つい大晦日《おおみそか》の晩に帰りなすったそうです。ちょうど今日は持たしてやろうとしておいでのとこでした。まだ明日《あす》は猪《しし》が来るそうで――」
 「猪《しし》? ――猪が捕《と》れ申したか。たしかわたしの方が三歳《みッつ》上じゃったの、浪どん。昔から元気のよか方《かた》じゃったがの」
 「それは何ですよ、母《おっか》さん、非常の元気で、今度も二日も三日も山に焚火《たきび》をして露宿《のじく》しなすったそうですがね。まだなかなか若い者に負けんつもりじゃて、そう威張っていなさいます」
 「そうじゃろの、母《おっか》さんのごとリュウマチスが起こっちゃもう仕方があいません。人間は病気が一番いけんもんじゃ。――おおもうやがて九時じゃ。着物どんかえて、やすみなさい。――おお、そいから今日はの、武どん。安彦《やすひこ》が来て――」
 立ちかかりたる武男はいささか安からぬ色を動かし、浪子もふと耳を傾けつ。
 「千々岩が?」
 「何か卿《おまえ》に要がありそうじゃったが――」
 武男は少し考え、「そうですか、私《わたくし》もぜひ――あわなけりゃならん――要がありますが。――何ですか、母《おっか》さん、私の留守に金でも借りに来はしません
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