く、昇日《のぼるひ》の勢いさかんなるに引きかえて、こなたは武男の父通武が没後は、存生《ぞんじょう》のみぎり何かとたよりて来し大抵の輩《やから》はおのずから足を遠くし、その上|親戚《しんせき》も少なく、知己とても多からず、未亡人《おふくろ》は人好きのせぬ方なる上に、これより家声を興すべき当主はまだ年若にて官等も卑《ひく》き家にあることもまれなれば、家運はおのずから止《よど》める水のごとき模様あり。実家《さと》にては、継母が派手な西洋好み、もちろん経済の講義は得意にて妙な所に節倹を行ない「奥様は土産《みやげ》のやりかたもご存じない」と婢《おんな》どもの陰口にかかることはあれど、そこは軍人|交際《づきあい》の概して何事も派手に押し出してする方なるが、こなたはどこまでも昔風むしろ田舎風《いなかふう》の、よくいえば昔忘れぬたしなみなれど、実は趣味も理屈もやはり米から自分に舂《つ》いたる時にかわらぬ未亡人、何でもかでも自分でせねば頭が痛く、亡夫の時|僕《ぼく》かなんぞのように使われし田崎某《たざきなにがし》といえる正直一図の男を執事として、これを相手に月に薪《まき》が何|把《ば》炭が何俵の勘定までせられ、「母《おっか》さん、そんな事しなくたって、菓子なら風月《ふうげつ》からでもお取ンなさい」と時たま帰って来て武男が言えど、やはり手製の田舎羊羹《いなかようかん》むしゃりむしゃりと頬《ほお》ばらるるというふうなれば、姥《うば》の幾が浪子について来しすら「大家《たいけ》はどうしても違うもんじゃ、武男が五器|椀《わん》下げるようにならにゃよいが」など常に当てこすりていられたれば、幾の排斥もあながち障子の外の立ち聞きゆえばかりではあらざりしなるべし。
悧巧《りこう》なようでも十八の花嫁、まるきり違いし家風のなかに突然入り込みては、さすが事ごとに惑えるも無理にはあらじ。されども浪子は父の訓戒《いましめ》ここぞと、われを抑《おさ》えて何も家風に従わんと決心の臍《ほぞ》を固めつ。その決心を試むる機会は須臾《すゆ》に来たりぬ。
伊香保より帰りてほどなく、武男は遠洋航海におもむきつ。軍人の妻となる身は、留守がちは覚悟の上なれど、新婚間もなき別離はいとど腸《はらわた》を断ちて、その当座は手のうちの玉をとられしようにほとほと何も手につかざりし。
おとうさまが縁談の初めに逢《あ》いたもうて至極気に
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