に肩をそびやかし、※[#「※」は「つつみがまえ」+「夕」、第3水準1−14−76、46−2]々《そうそう》に去り行きたり。
「ヤアイ、逃げた、ヤアイ」
と叫びながら、水兵は父の書斎に入りつ。来客の顔を見るよりにっこと笑いて、ちょっと頭《かしら》を下げながらつと父の膝《ひざ》にすがりぬ。
「おや毅一《きい》さん、すこし見ないうちに、また大きくなったようですね。毎日学校ですか。そう、算術が甲? よく勉強しましたねエ。近いうちにおとうさまやおかあさまと伯母さンとこにおいでなさいな」
「道《みい》はどうした? おう、そうか。そうら、伯母様がこんなものをくださッたぞ。うれしいか、あはははは」と菓子の瓶《びん》を見せながら「かあさんはどうした? まだ客か? 伯母様がもうお帰りなさる、とそう言って来い」
出《い》で行く子供のあと見送りながら、主人中将はじっと水色眼鏡の顔を見つめて、
「じゃ幾の事はそうきめてどうか角立《かどだ》たぬように――はあそう願いましょう。いや実はわたしもそんな事がなけりゃいいがと思ったくらいで、まあやらない方じゃったが、浪がしきりに言うし、自身も懇望《こんもう》しちょったものじゃから――はあ、そう、はあ、はあ、何分願います」
語半ばに入《はい》り来し子爵夫人|繁子《しげこ》、水色眼鏡の方《かた》をちらと見て「もうお帰りでございますの? あいにくの来客で――いえ、今帰りました。なに、また慈善会の相談ですよ。どうせ物にもなりますまいが。本当に今日《きょう》はお愛想《あいそ》もございませんで、どうぞ千鶴子《ちずこ》さんによろしく――浪さんがいなくなりましたらちょっとも遊びにいらッしゃいませんねエ」
「こないだから少し加減が悪かッたものですから、どこにもごぶさたばかりいたします――では」と信玄袋をとりておもむろに立てば、
中将もやおら体《たい》を起こして「どれそこまで運動かたがた、なにそこまでじゃ、そら毅一《きい》も道《みい》も運動に行くぞ」
出《い》づるを送りし夫人繁子はやがて居間の安楽椅子に腰かけて、慈善会の趣意|書《がき》を見ながら、駒子を手招きて、
「駒さん、何の話だったかい?」
「あのね、おかあさま、よくはわからなかッたけども、何だか幾の事ですわ」
「そう? 幾」
「あのね、川島の老母《おばあさん》がね、リュウマチで肩が痛んで
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