れて花牌《はなふだ》など落ち散るにふさわしかるべき二階の一室《ひとま》に、わざと電燈の野暮《やぼ》を避けて例の和洋行燈《あんどうらんぷ》を据え、取り散らしたる杯盤の間に、あぐらをかけるは千々岩と今|一人《ひとり》の赤黒子は問うまでもなき当家の主人山木兵造なるべし。
 遠ざけにしや、そばに侍《はんべ》る女もあらず。赤黒子の前には小形の手帳を広げたり、鉛筆を添えて。番地官名など細かに肩書きして姓名|数多《あまた》記《しる》せる上に、鉛筆にてさまざまの符号《しるし》つけたり。丸。四角。三角。イの字。ハの字。五六七などの数字。あるいはローマ数字。点かけたるもあり。ひとたび消してイキルとしたるもあり。
 「それじゃ千々岩さん。その方はそれと決めて置いて、いよいよ定《き》まったらすぐ知らしてくれたまえ。――大丈夫間違はあるまいね」
 「大丈夫さ、もう大臣の手もとまで出ているのだから。しかし何しろ競争者《あいて》がしょっちゅう運動しとるのだから例のも思い切って撒《ま》かんといけない。これだがね、こいつなかなか食えないやつだ。しッかり轡《くつわ》をかませんといけないぜ」と千々岩は手帳の上の一《いつ》の名をさしぬ。
 「こらあどうだね?」
 「そいつは話せないやつだ。僕はよくしらないが、ひどく頑固《がんこ》なやつだそうだ。まあ正面から平身低頭でゆくのだな。悪くするとしくじるよ」
 「いや陸軍にも、わかった人もあるが、実に話のできン男もいるね。去年だった、師団に服を納めるンで、例の筆法でまあ大概は無事に通ったのはよかッたが。あら何とか言ッたッけ、赤髯《あかひげ》の大佐だったがな、そいつが何のかの難癖つけて困るから、番頭をやって例の菓子箱を出すと、ばかめ、賄賂《わいろ》なんぞ取るものか、軍人の体面に関するなんて威張って、とどのつまりあ菓子箱を蹴《け》飛ばしたと思いなさい。例の上層《うえ》が干菓子で、下が銀貨《しろいの》だから、たまらないさ。紅葉《もみじ》が散る雪が降る、座敷じゅう――の雨だろう。するとそいつめいよいよ腹あ立てやがッて、汚らわしいの、やれ告発するのなんのぬかしやがるさ。やっと結局《まとめ》をつけはつけたが、大骨折らしアがッたね。こんな先生がいるからばかばかしく事が面倒になる。いや面倒というと武男さんなぞがやっぱりこの流で、実に話せないに困る。こないだも――」
 「しかし武男
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