ここより手紙文、1字下げ]
もはや最後も遠からず覚え候《そうろう》まま一筆《ひとふで》残しあげ参らせ候 今生《こんじょう》にては御目《おんめ》もじの節《ふし》もなきことと存じおり候ところ天の御憐《おんあわれ》みにて先日は不慮の御《おん》目もじ申しあげうれしくうれしくしかし汽車の内のこととて何も心に任せ申さず誠に誠に御《おん》残り多く存じ上げ参らせ候
[#1字下げ終わり]
車の窓に身をもだえて、すみれ色のハンケチを投げしその時の光景《ありさま》は、歴々と眼前に浮かびつ。武男は目を上げぬ。前にはただ墓標あり。
[#ここより手紙文、1字下げ]
ままならぬ世に候えば、何も不運と存じたれも恨み申さずこのままに身は土と朽ち果て候うとも魂《たま》は永《なが》く御側《おんそば》に付き添い――
[#1字下げ終わり]
「おとうさま、たれか来てますよ」と涼しき子供の声耳近に響きつ。引きつづいて同じ声の
「おとうさま、川島の兄君《にいさん》が」と叫びつつ、花をさげたる十ばかりの男児《おのこ》武男がそばに走り寄りぬ。
驚きたる武男は、浪子の遺書を持ちたるまま、涙《なんだ》を払ってふりかえりつつ、あたかも墓門に立ちたる片岡中将と顔見合わしたり。
武男は頭《かしら》をたれつ。
たちまち武男は無手《むず》とわが手を握られ、ふり仰げば、涙を浮かべし片岡中将の双眼と相対《あいむか》いぬ。
「武男さん、わたしも辛《きつ》かった!」
互いに手を握りつつ、二人が涙は滴々として墓標の下《もと》に落ちたり。
ややありて中将は涙《なんだ》を払いつ。武男が肩をたたきて
「武男|君《さん》、浪は死んでも、な、わたしはやっぱい卿《あんた》の爺《おやじ》じゃ。しっかい頼んますぞ。――前途遠しじゃ。――ああ、久しぶり、武男さん、いっしょに行って、ゆるゆる台湾の話でも聞こう!」
底本:「小説 不如帰」岩波文庫、岩波書店
1938(昭和13)年7月1日第1刷発行
1971(昭和46)年4月16日第34刷改版発行
※1898(明治31)年から翌年にかけて「国民新聞」に連載されたとき、不如帰には「ほととぎす」と読みが示してあった。後に著者は、本作品を「ふじょき」と呼び、巻頭の「第百版不如帰の巻首に」にも、そうルビが付してある。だが、青空文庫には、広く流布している「ほととぎす」で登録するこ
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