よし浪が今死なんにしたとこが、そのうちまたきっとわるくなッはうけあいじゃ。そのうちにはきっと卿《おまえ》に伝染すッなこらうけあいじゃ、なあ武どん。卿《おまえ》にうつる、子供が出来《でく》る、子供にうつる、浪ばかいじゃない、大事な主人の卿《おまえ》も、の、大事な家嫡《あととり》の子供も、肺病持ちなッて、死んでしもうて見なさい、川島家はつぶれじゃなッかい。ええかい、卿《おまえ》がおとっさまの丹精《たんせい》で、せっかくこれまでになッて、天子様からお直々《じきじき》に取り立ててくださったこの川島家も卿《おまえ》の代でつぶれッしまいますぞ。――そいは、も、浪もかあいそう、卿《おまえ》もなかなかきつか、わたしも親でおってこういう事言い出すなおもしろくない、つらいがの、何をいうても病気が病気じゃ、浪がかあいそうじゃて主人の卿《おまえ》にゃ代えられン、川島家にも代えられン。よウく分別のして、ここは一つ思い切ってたもらんとないませんぞ」
 黙然《もくねん》と聞きいる武男が心には、今日《きょう》見舞い来し病妻の顔ありありと浮かみつ。
 「母《おっか》さん、私《わたくし》はそんな事はできないです」
 「なっぜ?」母はやや声高《こわだか》になりぬ。
 「母《おっか》さん、今そんな事をしたら、浪は死にます!」
 「そいは死ぬかもしれン、じゃが、武どん、わたしは卿《おまえ》の命が惜しい、川島家が惜しいのじゃ!」
 「母《おっか》さん、そうわたしを大事になさるなら、どうかわたしの心をくんでください。こんな事を言うのは異なようですが、実際わたしにはそんな事はどうしてもできないです。まだ慣れないものですから、それはいろいろ届かぬ所はあるですが、しかし母《おっか》さんを大事にして、私《わたくし》にもよくしてくれる、実に罪も何もないあれを病気したからッて離別するなんぞ、どうしても私《わたくし》はできないです。肺病だッてなおらん事はありますまい、現になおりかけとるです。もしまたなおらずに、どうしても死ぬなら、母《おっか》さん、どうか私《わたくし》の妻《さい》で死なしてください。病気が危険なら往来も絶つです、用心もするです。それは母《おっか》さんの御安心なさるようにするです。でも離別だけはどうあッても私《わたくし》はできないです!」
 「へへへへ、武男、卿《おまえ》は浪の事ばッかいいうがの、自分は死んでも
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