かまわンか、川島家はつぶしてもええかい?」
 「母《おっか》さんはわたしのからだばッかりおっしゃるが、そんな不人情な不義理な事して長生きしたッてどうしますか。人情にそむいて、義理を欠いて、決して家のためにいい事はありません。決して川島家の名誉でも光栄でもないです。どうでも離別はできません、断じてできないです」
 難関あるべしとは期《ご》しながら思いしよりもはげしき抵抗に出会いし母は、例の癇癖《かんぺき》のむらむらと胸先《むなさき》にこみあげて、額のあたり筋立ち、こめかみ顫《うご》き、煙管持つ手のわなわなと震わるるを、ようよう押ししずめて、わずかに笑《えみ》を装いつ。
 「そ、そうせき込まんでも、まあ静かに考えて見なさい。卿《おまえ》はまだ年が若かで、世間《よのなか》を知ンなさらンがの、よくいうわ、それ、小の虫を殺しても大の虫は助けろじゃ。なあ。浪は小の虫、卿《おまえ》――川島家は大の虫じゃ、の。それは先方《むこう》も気の毒、浪もかあいそうなよなものじゃが、病気すっがわるかじゃなッか。何と思われたて、川島家が断絶するよかまだええじゃなッか、なあ。それに不義理の不人情の言いなはるが、こんな例《こと》は世間に幾らもあります。家風に合わンと離縁《じえん》する、子供がなかと離縁《じえん》する、悪い病気があっと離縁《じえん》する。これが世間の法、なあ武どん。何の不義理な事も不人情な事もないもんじゃ。全体《いったい》こんな病気のした時ゃの、嫁の実家《さと》から引き取ってええはずじゃ。先方《むこう》からいわンからこつちで言い出すが、何のわるか事恥ずかしか事があッもンか」
 「母《おっか》さんは世間世間とおっしゃるが、何も世間が悪い事をするから自分も悪い事をしていいという法はありません。病気すると離別するなんか昔の事です。もしまたそれが今の世間の法なら、今の世間は打《ぶ》ちこわしていい、打《ぶ》ちこわさなけりゃならんです。母《おっか》さんはこっちの事ばっかりおっしゃるが、片岡の家《うち》だッてせっかく嫁にやった者が病気になったからッて戻されていい気持ちがしますか。浪だってどの顔さげて帰られますか。ひょっとこれがさかさまで、わたしが肺病で、浪の実家《さと》から肺病は険呑《けんのん》だからッて浪を取り戻したら、母《おっか》さんいい心地《こころもち》がしますか。同《おんな》じ事です」
 「
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