ままならぬをひそかにかこてるおりおりは、かつてわが国風《こくふう》に適《あ》わずと思いし継母が得意の親子《しんし》別居論のあるいは真理にあらざるやを疑うこともありしが、これがためにかえって浪子は初心を破らじとひそかに心に帯《おび》せるなり。
 継母の下《もと》に十年《ととせ》を送り、今は姑のそばにやがて一年の経験を積める従姉《いとこ》の底意を、ことごとくはくみかねし千鶴子、三つに組みたる髪の端を白きリボンもて結わえつつ、浪子の顔さしのぞきて、声を低め、「このごろでも御機嫌《ごきげん》がわるくッて?」
 「でも、病気してからよくしてくださるのですよ。でもね、……武男《うち》にいろいろするのが、おかあさまのお気に入らないには困るわ! それで、いつでも此家《ここ》ではおかあさまが女皇陛下《クイーン》だからおれよりもたれよりもおかあさまを一番大事にするンだッて、しょっちゅう言って聞かされるのですわ……あ、もうこんな話はよしましょうね。おおいい気持ち、ありがとう。頭が軽くなったわ」
 言いつつ三つ組みにせし髪をなで試みつ。さすがに疲れを覚えつらん、浪子は目を閉じぬ。
 櫛《くし》をしまいて、紙に手をふきふき、鏡台の前に立ちし千鶴子は、小さき箱の蓋《ふた》を開きて、掌《たなそこ》に載せつつ、
 「何度見てもこの襟止《びん》はきれいだわ。本当に兄《にい》さんはよくなさるのねエ。内《うち》の――兄さん(これは千鶴子の婿養子と定まれる俊次《しゅんじ》といいて、目下外務省に奉職せる男)なんか、外交官の妻になるには語学が達者でなくちゃいけないッて、仏語《フレンチ》を勉強するがいいの、ドイツ語がぜひ必要のッて、責めてばかりいるから困るわ」
 「ほほほほ、お千鶴さんが丸髷《まるまげ》に結《い》ったのを早く見たいわ――島田も惜しいけれど」
 「まあいや!」美しき眉《まゆ》はひそめど、裏切る微笑《えみ》は薔薇《ばら》の莟《つぼ》めるごとき唇に流れぬ。
 「あ、ほんに、萩原《はぎわら》さんね、そらわたしたちより一年|前《さき》に卒業した――」
 「あの松平《まつだいら》さんに嫁《い》らっした方でしょう」
 「は、あの方がね、昨日《きのう》離縁になったンですッて」
 「離縁に? どうしたの?」
 「それがね、舅《おとうさん》姑《おかあさん》の気には入ってたけども、松平さんがきらってね」
 「子供があ
前へ 次へ
全157ページ中59ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング