水なるかな水

 やがて此浅き谷は低き山の隈《くま》に尽きて、其処《そこ》に大なる無花果、ポプラル、葡萄、石榴《ざくろ》など一族《いちぞく》の緑眼もさむるばかり鮮かなる小村あり。ドタンと云ふ。旧約の少年ヨセフが、父の命により十人の兄を尋ね来て坑《あな》に打込まれはては売られし所と伝ふ。この処に径一丈ばかりの泉あり。ヱル・ハフイレーの泉と称す。ヨセフの坑とは例の附会なるべきも、ドタンは昔より斯《かゝ》る泉の為に羊を牧すべき地なりしならん。雨期を過ぎて未だ久しからねば、泉の清水満々と湛《たゝ》へたるに、旅僧《たびそう》らしきが二人、驢馬を放ち真裸になりて、首まで浸《ひた》り居りぬ。ぐるりの石に縄かけて縋《すが》り居るを見れば、水の深さも知らる。泉の水は溢れていさゝ小川をなし、胡瓜《きうり》などつくれる野の畑へと流れ行く。吾馬熱き蹄を小川に踏み入れて、鼻鳴らしつゝ水飲む。
 水なるかな水、シリヤに夏の旅して「活ける水」の味を知る。烈しき日、乾燥せる空気、日を照りかへして白く晃《きら》めく岩の山、見るだに咽喉《のんど》のいらく土の家、見るもの尽《こと/″\》く唯渇きに渇きて、旅人の気も遠く目
前へ 次へ
全17ページ中10ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング