スまで約十二里。
 ナブルスは旧約のシケム、ふるき所にて此処のサマリヤ人の会堂に秘蔵するモーゼの五経《ごけい》は有名なるものなり。目下《もくか》人口約三万、外人の居留も少なからず、エルサレムに次ぐ都会とす。半日の馬上に足腰|夥《おびたゞ》しく痛めば、見物を廃して休養す。
 夜は蚤と肢体の痛みに眠られず。昼間見置きし枕辺の聖母の心臓を剣さし透《とほ》せる油絵は、解剖図などかけし様にて、あまり心地よき寝覚めの伴侶《とも》にもあらざりき。

    サマリヤの墟址

 五日。日と共に馬に上る。上《のぼ》りて見れば、昨夜|此《この》痛さにてはと思ひし程にはあらず。サマリヤは概してユダヤよりも地味《ちみ》まされり。殊にナブルスの谷は、清泉|処々《しよ/\》に湧きて、橄欖《かんらん》、無花果《いちじゆく》、杏《あんず》、桑、林檎、葡萄、各種野菜など青々と茂り、小川の末には蛙《かはづ》の音さへ聞こえぬ。
 ナブルスを出はなれて程なく新道より北に折れ、山路《やまぢ》を行くこと二時間、セバスチエーに到る。即ち昔のイスラエル王国の首都サマリヤにて、後ヘロデも此処に壮麗なる府を建てぬ。四方《しはう》山の中に
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