最早茶路の入口だ。路傍に大きな草葺の家がある。
「一寸休むで往きましようかな」と云つて、案内者が先に立つて入る。
 大きな爐をきつて、自在に大藥罐の湯がたぎつて居る。煤けた屋根裏からつりさげた藁苞《わらつと》に、燒いた小魚の串がさしてある。柱には大きなぼン/\が掛つて居る。廣くとつた土間の片隅は棚になつて、茶碗、皿、小鉢の類が多くのせてある。
 額の少し禿げた天神髯の五十位の男が出て來た。案内者と二三の會話がある。
「茶路は誰を御訪ねなさるンですかね」
 余はMの名を云つた。
「あ、Mさんですか。Mさんなれば最早《もう》茶路には居ません。昨年越しました。今は釧路に居ます。釧路の西幣舞《にしぬさまひ》町です。葬儀屋をやつてます。エ、エ、俺《わたし》とは極《ごく》懇意で、つい先月も遊びに往つて來ました」
と云つて、主は戸棚から一括した手紙はがきを取り出し、一枚づゝめくつて、一枚のはがきを取り出して見せた。まさしく其人の名がある。
「かみさんも一緒ですかね?」
 實は彼は内地の郷里に妻子を置いて、渡道したきり、音信不通だが、風のたよりに彼地で妻を迎へて居ると云ふことが傳へられて居るのであつた
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