ブヨばかり。倒れ木に腰かけて、路をさし覆ふ七つ葉の蔭で、眞桑瓜《まくはうり》を剥いた。甘味の少ないは、爭はれぬ北である。最早日が入りかけて、薄ら寒く、秋の夕の淋しさが人少なの新開町を押かぶせる樣に四方から包むで來る。二《ふた》たび川を渡つて、早々宿に歸る。町の眞中を乘馬の男が野の方から駈《かけ》を追うて歸つて來る。馬蹄の音が名寄中に響き渡る。
宿の主人は讚岐《さぬき》の人で、晩食の給仕に出た女中は愛知の者であつた。隣室には、先刻馬を頼むで居た北見の農場に歸る男が、客と碁をうつて居る。按摩の笛が大道を流して通る。
春光臺
明治三十六年の夏、余は旭川まで一夜泊の飛脚旅行に來た。其時の旭川は、今の名寄よりも淋しい位の町であつた。降りしきる雨の中を車で近文《ちかぶみ》に往つて、土産話にアイヌの老酋《らうしう》の家を訪うて、イタヤのマキリなぞ買つて歸つた。余は今車の上から見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]して、當年のわびしい記憶を喚起《よびおこ》さうとしたが、明治四十三年の旭川から七年前の旭川を見出すことは成功しなかつた。
余等は市街を出ぬけ、石狩川を渡り、近文のアイ
前へ
次へ
全31ページ中17ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング