まふべく思はれて、のさばりかへりて居たまふは、子爵夫人エリサベツトの君。其の側に夫人の小くしたる様なるが、青木令嬢なるべし。吾が近眼にはよくも見えねど、何やらん白繻子《しろじゆす》に軟《やはらか》き白毛の縁《ふち》とりたる服装して、牙柄《がへい》の扇を持ち、頭の揺《うご》く毎にきら/\光るは白光《プラチナ》の飾櫛にや。此の三人を正面にして、少しさがりて左手《ゆんで》には一様に薄色《うすいろ》裾模様《すそもよう》の三枚がさね、繻珍《しゆちん》の丸帯、髪はお揃《そろひ》の丸髷《まるまげ》、絹足袋に麻裏《あさうら》と云ふいでたちの淑女四五人ずらりと立ち列ぶは外交官の夫人達。此方《こなた》に紅菊《くれなゐぎく》の徽章《きしよう》つけし愛嬌《あいけう》沢山の紳士達の忙しげなるは接待係の外交官なるべし。
 斯《か》く眺め候ふほどに、先入の客は何れも亭主の大臣夫婦に会釈しはてゝのきたれば、今は小生の順番となりぬ。先《まづ》気《き》を丹田《たんでん》に落つけ、震《ふる》ふ足を踏しめ、づか/\と青木子の面前にすゝみ出でゝ怪しき目礼すれば、大臣は眼鏡の上よりぢろりと一|瞥《べつ》、むつとしたる顔付にて答礼したまふ。次に夫人令嬢を一括して目礼すれば、夫人は怪訝《けげん》の眼を瞠《みは》りて、ぢろりと睨みまふ。肝《きも》を冷《ひ》やしてそこそこに片寄り、群衆の中に立まじりて、玄関に入り来る人々を眺むるに、何れも/\先づ子爵夫人に会釈して然る後主人に会釈す。しくじつたり、吾は何気なく主人を先にしたるが、此処は夜会の場、例の男尊女卑は大禁物《だいきんもつ》、殊に青木子は済まなかつた、と思うても下司《げす》の智慧はあとで、後悔はさきに立たず。今宵《こよひ》の失策のし初《ぞ》めと、独|頭《あたま》かく/\猶も入り来る人々を眺め居たり。
 流れ入る客はしばらくも止《とゞ》まらず。夫妻連れの洋人、赤套《レツドコート》の英国士官、丸髷《まるまげ》束髪《そくはつ》御同伴の燕尾服、勲章|眩《まば》ゆき陸海軍武官、商人顔あり、議員|面《づら》あり。都貌《みやこがほ》あり、田舎相《ゐなかがほ》あり、髯《ひげ》あり、無髯あり、場馴れしあり、まごつくあり、親しきは亭主夫婦と握手して、微笑してかはす両三言、さもなきは小生と同様|澄《すま》しかへつた一|点頭《てんとう》、内閣大臣、外国公使等身分高きは右なる特別室に、余
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