第七師団の練兵場《れんぺいじょう》を横ぎり、車を下りて春光台《しゅんこうだい》に上った。春光台は江戸川を除いた旭川の鴻《こう》の台《だい》である。上川《かみかわ》原野を一目に見て、旭川の北方に連塁の如く蟠居《ばんきょ》して居る。丘上《おかうえ》は一面水晶末の様な輝々《きらきら》する白砂、そろ/\青葉の縁《ふち》を樺《かば》に染《そ》めかけた大きな※[#「木+解」、第3水準1−86−22]樹《かしわのき》の間を縫うて、幾条の路がうねって居る。直ぐ眼下《がんか》は第七師団である。黒んだ大きな木造《もくぞう》の建物、細長い建物、一尺の馬が走ったり、二寸の兵が歩《ある》いたり、赤い旗が立ったり、喇叭《らっぱ》が鳴ったりして居る。日露戦争|凱旋《がいせん》当時、此|丘上《おかのうえ》に盛大な師団|招魂祭《しょうこんさい》があって、芝居、相撲、割れる様な賑合《にぎわい》の中に、前夜|恋人《こいびと》の父から絶縁の一書を送られて血を吐く思の胸を抱いて師団の中尉|寄生木《やどりぎ》の篠原良平が見物に立まじったも此春光台であった。
 余は見廻わした。丘の上には余等の外に人影も無く、秋風がばさり/\※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かしわ》の葉を揺《うご》かして居る。
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春光台|腸《はらわた》断《た》ちし若人《わこうど》を
    偲《しの》びて立てば秋の風吹く
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 余等は春光台を下《お》りて、一兵卒に問うて良平が親友《しんゆう》小田中尉の女気無《おんなげな》しの官舎を訪い、暫《しば》らく良平を語った。それから良平が陸軍大学の予備試験に及第しながら都合上後廻わしにされたを憤《いきどお》って、硝子窓《がらすまど》を打破ったと云う、最後に住んだ官舎の前を通った。其は他の下級将校官舎の如く、板塀《いたべい》に囲われた見すぼらしい板葺《いたぶき》の家で、垣《かき》の内には柳が一本長々と枝《えだ》を垂《た》れて居た。失恋の彼が苦しまぎれに渦巻の如く無暗に歩き廻った練兵場は、曩日《のうじつ》の雨で諸処水溜りが出来て、紅と白の苜蓿《うまごやし》の花が其処此処に叢《むら》をなして咲いて居た。
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      釧路

       (一)

 旭川に二夜《ふたよ》寝て、九月二十三日の朝|釧路《くしろ》へ向う。釧路の方へは全くの生路である。
 昨日|石狩岳《いしかりだけ》に雪を見た。汽車の内も中々寒い。上川《かみかわ》原野を南方へ下って行く。水田が黄ばんで居る。田や畑の其処《そこ》此処《ここ》に焼《や》け残りの黒い木の株《かぶ》が立って居るのを見ると、開《ひら》け行く北海道にまだ死に切れぬアイヌの悲哀《かなしみ》が身にしみる様だ。下富良野《しもふらの》で青い十勝岳《とかちだけ》を仰ぐ。汽車はいよ/\夕張と背合わせの山路《やまじ》に入って、空知川《そらちがわ》の上流を水に添《そ》うて溯《さかのぼ》る。砂白く、水は玉よりも緑である。此辺は秋已に深く、万樹《ばんじゅ》霜《しも》を閲《けみ》し、狐色になった樹々《きぎ》の間に、イタヤ楓《かえで》は火の如く、北海道の銀杏なる桂は黄の焔《ほのお》を上げて居る。旭川から五時間余走って、汽車は狩勝《かりかつ》駅に来た。石狩《いしかり》十勝《とかち》の境《さかい》である。余は窓から首を出して左の立札《たてふだ》を見た。
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狩勝停車場
 海抜一千七百五十六|呎《フィート》、一二
狩勝トンネル
 延長参千九|呎《フィート》六|吋《インチ》
釧路百十九|哩《まいる》八|分《ぶ》
旭川七十二哩三分
札幌百五十八哩六分
函館三百三十七哩五分
室蘭二百二十哩
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 三千|呎《フィート》の隧道《とんねる》を、汽車は石狩から入って十勝へ出た。此れからは千何百呎の下りである。最初蝦夷松椴松の翠《みどり》に秀《ひい》であるいは白く立枯《たちか》るゝ峰を過ぎて、障るものなき辺《あたり》へ来ると、軸物の大俯瞰図のする/\と解けて落ちる様に、眼は今汽車の下りつゝある霜枯《しもがれ》の萱山《かややま》から、青々とした裾野につゞく十勝の大平野を何処までもずうと走って、地と空《そら》と融《と》け合う辺《あたり》にとまった。其処《そこ》に北太平洋が潜《ひそ》んで居るのである。多くの頭が窓から出て眺める。汽車は尾花《おばな》の白く光る山腹を、波状を描《か》いて蛇の様にのたくる。北東の方には、石狩、十勝、釧路、北見の境上《きょうじょう》に蟠《わだかま》る連嶺《れんれい》が青く見えて来た。南の方には、日高境の青い高山《こうざん》が見える。汽車は此等の山を右の窓から左の窓へと幾回か転換して、到頭平野に下りて了うた。
 当分は※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かしわ》の林が迎えて送る。追々大豆畑が現われる。十勝は豆の国である。旭川平原や札幌深川間の汽車の窓から見る様な水田は、まだ十勝に少ない。帯広《おびひろ》は十勝の頭脳《ずのう》、河西《かさい》支庁《しちょう》の処在地《しょざいち》、大きな野の中の町である。利別《としべつ》から芸者《げいしゃ》雛妓《おしゃく》が八人乗った。今日|網走線《あばしりせん》の鉄道が※[#「陸」の「こざと」に代えて「冫」、下巻−175−15]別《りくんべつ》まで開通した其開通式に赴くのである。池田駅は網走線の分岐点《ぶんぎてん》、球燈、国旗、満頭飾《まんとうしょく》をした機関車なども見えて、真黒な人だかりだ。汽車はこゝで乗客の大部分を下ろし、汪々《おうおう》たる十勝川の流れに暫《しばら》くは添うて東へ走った。時間が晩《おく》れて、浦幌《うらほろ》で太平洋の波の音を聞いた時は、最早|車室《しゃしつ》の電燈がついた。此処から線路は直角をなして北上し、一路|断続《だんぞく》海の音を聞きつゝ、九時近くくたびれ切って釧路に着いた。車に揺られて、十九日の欠月《けつげつ》を横目に見ながら、夕汐《ゆうしお》白く漫々《まんまん》たる釧路川に架した長い長い幣舞橋《ぬさまいばし》を渡り、輪島屋《わじまや》と云う宿に往った。

       (二)

 あくる日|飯《めし》を食うと見物に出た。釧路町は釧路川口の両岸に跨《またが》って居る。停車場所在の側《かわ》は平民町で、官庁、銀行、重なる商店、旅館等は、大抵橋を渡った東岸にある。東岸一帯は小高い丘《おか》をなして自《おのず》から海風《かいふう》をよけ、幾多の人家は水の畔《はた》から上段かけて其|蔭《かげ》に群《むら》がり、幾多の舟船は其蔭に息うて居る。余等は弁天社から燈台の方に上った。釧路川と太平洋に挾《はさ》まれた半島の岬端で、東面すれば太平洋、西面すれば釧路湾、釧路川、釧路町を眼下に見て、当面《とうめん》には海と平行して長く延《ひ》いた丘《おか》の上、水色に冴えた秋の朝空に間《あわい》隔《へだ》てゝ二つ列《なら》んだ雄阿寒《おあかん》、雌阿寒《めあかん》の秀色を眺める。湾には煙立つ汽船、漁舟が浮いて居る。幣舞橋には蟻《あり》の様に人が渡って居る。北海道東部第一の港だけあって、気象頗雄大である。今日《きょう》人を尋《たず》ぬ可く午前中に釧路を去らねばならぬので、見物は※[#「勹+夕」、第3水準1−14−76]々《そこそこ》にして宿に帰る。
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      茶路

 北太平洋の波の音の淋しい釧路の白糠《しらぬか》駅で下りて、宿の亭主を頼み村役場に往って茶路《ちゃろ》に住むと云うM氏の在否《ざいひ》を調《しら》べて貰《もら》うと、先には居たが、今は居ない、行方《ゆくえ》は一切分からぬと云う。兎も角も茶路に往って尋ねる外はない。妻児《さいじ》を宿に残して、案内者を頼み、ゲートル、運動靴、洋傘《かさ》一柄《いっぺい》、身軽に出かける。時は最早《もう》午後の二時過ぎ。茶路までは三里。帰りはドウセ夜に入ると云うので、余はポッケットに懐中電燈《かいちゅうでんとう》を入れ、案内者は夜食の握飯《にぎりめし》と提灯《ちょうちん》を提げて居る。
 海の音を背《うしろ》に、鉄道線路を踏切《ふみき》って、西へ槍《やり》の柄《え》の様に真直《まっすぐ》につけられた大路を行く。左右は一面じめ/\した泥炭地《でいたんち》で、反魂香《はんごんこう》の黄や沢桔梗《さわぎきょう》の紫や其他名を知らぬ草花が霜枯《しもが》れかゝった草を彩どって居る。煙草《たばこ》の火でも落すと一月も二月もぷす/\燻《くすぶ》って居ます、と案内者が云う。路の一方にはトロッコのレールが敷かれてある。其処《そこ》此処《ここ》で人夫がレールや枕木《まくらぎ》を取りはずして居る。
「如何《どう》するのかね」
「何、安田《やすだ》の炭鉱《たんこう》へかゝってたんですがね。エ、二里ばかり、あ、あの山の陰《かげ》になってます。エ、最早|廃《よ》しちゃったんです」
 案内者は斯《こう》云って、仲に立った者が此レールを請負《うけお》って、一間ばかりの橋一つにも五十円の、枕木一本が幾円のと、不当な儲《もうけ》をした事を話す。枕木は重にドス楢《なら》で、北海道に栗は少なく、釧路などには栗が三本と無いが、ドス楢《なら》は堅硬《けんこう》にして容易に朽《く》ちず栗にも劣らぬそうである。
 案内者は水戸《みと》の者であった。五十そこらの気軽《きがる》そうな男。早くから北海道に渡って、近年白糠に来て、小料理屋をやって居る。
「随分《ずいぶん》色々な者が入り込んで居るだろうね」
「エ、其《そ》りゃ色々な手合《てあい》が来てまさァ」
「随分|破落戸《ならずもの》も居るだろうね」
「エ、何、其様《そう》でもありませんが。――一人《ひとり》困った奴《やつ》が居ましてな。よく強淫をやりァがるんです。成る可く身分の好い人のかみさんだの娘だのをいくんです。身分の好い人だと、成丈外聞のない様にしますからな。何時《いつ》ぞやも、農家の娘でね、十五六のが草苅《くさか》りに往ってたのを、奴《やつ》が捉《つらま》えましてな。丁度其処に木を伐《き》りに来た男が見つけて、大騒《おおさわ》ぎになりました。――其奴ですか。到頭村から追い出されて、今では大津に往って、漁場《りょうば》を稼《かせ》いで居るってことです」
 山が三方から近く寄って来た。唯有《とあ》る人家《じんか》に立寄って、井戸の水をもらって飲む。桔槹《はねつるべ》の釣瓶《つるべ》はバケツで、井戸側《いどがわ》は径《わたり》三尺もある桂《かつら》の丸木の中をくりぬいたのである。一丈余もある水際《みずぎわ》までぶっ通しらしい。而して水はさながら水晶《すいしょう》である。まだ此辺までは耕地《こうち》は無い。海上のガス即ち霧が襲うて来るので、根菜類《こんさいるい》は出来るが、地上に育《そだ》つものは穀物蔬菜何も出来ず、どうしても三里内地に入らねば麦も何も出来ないのである。
 鹿の角を沢山|背負《せお》うて来る男に会うた。茶路川《ちゃろかわ》の水|涸《か》れた川床が左に見えて来た。
 二里も来たかと思う頃、路は殆《ほと》んど直角に右に折れて居る。最早《もう》茶路の入口だ。路傍に大きな草葺の家がある。
「一寸休んで往きましょうかな」と云って、案内者が先に立って入る。
 大きな炉《ろ》をきって、自在《じざい》に大薬罐の湯がたぎって居る。煤《すす》けた屋根裏からつりさげた藁苞《わらつと》に、焼いた小魚《こざかな》の串《くし》がさしてある。柱には大きなぼン/\が掛《かか》って居る。広くとった土間の片隅は棚になって、茶碗《ちゃわん》、皿《さら》、小鉢《こばち》の類《るい》が多くのせてある。
 額の少し禿げた天神髯《てんじんひげ》の五十位の男が出て来た。案内者と二三の会話がある。
「茶路は誰を御訪《おたず》ねなさるンですかね」
 余はMの名を云った。
「あ、Mさんですか。Mさんなれば最早茶路には居ません。昨年越しました。今は釧路に居ます。釧路の西幣舞町《にしぬさまいまち》です。葬儀屋《そうぎや》をやってます。エ、エ、俺《わたし》とは極《ごく》懇意《
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