はじめて六年、九十度は今日が初である。戸と云う戸、障子と云う障子、窓と云う窓を残らず開放《あけはな》し、母屋《おもや》は仕切の唐紙《からかみ》障子《しょうじ》を一切取払うて、六畳二室板の間ぶっ通しの一間《ひとま》にした。飲むと汗《あせ》になると知りつゝ、たまりかねて冷《つめ》たい麦湯を飲む、サイダアを飲む。飲む片端《かたはし》からぼろ/\汗になって流れる。犬のデカもピンも、猫のトラも、樫の木蔭《こかげ》にぐったり寝て居た。
あまり暑いから髪《かみ》でも苅ろうかと、座敷の縁に胡踞《あぐら》かく。バリカンが駄目なので、剪《はさみ》で細君が三分に苅ってくれた。今朝苅った芝が、最早枯れて白く乾《かわ》いて居る。北海道の牧場の様ですね、と細君が曰う。主人《あるじ》は芝を苅り、妻は主人の髪を苅る。芝の心は知らぬが主人は好い心地になった。
建具《たてぐ》取払って食堂が濶《ひろ》くなった上に、風が立ったので、晩餐の卓《たく》は涼《すず》しかった。飯を食いながら、唯《と》見《み》ると、夕日の残る葭簀《よしず》の二枚屏風に南天の黒い影が躍《おど》って居る。而《そう》して其葭簀を透《す》かして大きな芭蕉の緑の葉がはた/\揺《うご》いて居る。
自動車の響《おと》が青山街道にしたかと思うと、東京のN君外三名が甲斐《かい》の山の写真を撮《と》りに来たのだ。時刻が晩《おそ》くて駄目だったが、無理に二枚程撮って帰った。
日が傾《かたむ》くとソヨ吹きそめた南風《みなみ》が、夜に入ると共に水の流るゝ如く吹き入るので、ランプをつけて置くのが骨だった。母屋の縁に胡座《あぐら》かいて、身も魂も空虚《から》にして涼風《すずかぜ》に浸《ひた》る。ランプの光射《あかりさ》す程は、樫《かし》、ふさもじ、小さな孟宗竹《もうそうちく》の葉が一々緑玉に光って、ヒラ/\キラ/\躍って居る。光の及ばぬあたりは、墨画《すみえ》にかいた様な黒い葉が、千も万も躍って居る。木立《こだち》の間には白けた夏の夜の空《そら》が流れ、其処《そこ》にはまた数限も無い星がチラ/\瞬《またた》いて居る。庭の暗の方から、甘《あま》い香や強い刺戟性《しげきせい》の香が弗々《ふつふつ》と流れて来る。山梔子《くちなし》、山百合の香である。「夏の夜や蚊を疵《きず》にして五百両」これで蚊さえ居なかったら。
今日誤ってもいだ烏瓜《からすうり》を刳《く》って細君が鶴子の為に瓜燈籠《うりどうろう》をつくり、帆かけ舟を彫《ほ》って縁につり下げ、しば/\風に吹き消《け》されながら、小さな蝋燭をともした。緑色に透《す》き徹《とお》った小天地、白い帆かけ舟が一つ中にともした生命《いのち》の火のつゞく限りいつまでもと其|表《おもて》を駛《はし》って居る。
[#地から3字上げ](明治四十五年 七月十八日)
[#改ページ]
明治天皇崩御の前後
一
明治四十五年七月二十一日。
日曜だが、起きぬけに二時間の芝苅《しばかり》。
天皇陛下|御不例《ごふれい》の発表があった。わざ/\発表がある程だ。御重態《ごじゅうたい》の程も察せられる。
真黒い雲が今我等の頭上《ずじょう》を覆《おお》うて居る。
*
午後二時過ぎ、雷鳴、電光、沛然《はいぜん》と降雨があった。少し雹《ひょう》が雑《まじ》って居た。
月番から回章《かいしょう》で、二十七日から二十九日まで、「総郷|上《あが》り正月」のふれが来た。中日が総出で道路の草苅りだ。回章の月番の名に、見馴《みな》れた寺本の七蔵の名はなくて、息子《むすこ》の喜三郎の名が見える。七蔵さんは此六日に亡《な》くなったのである。変った月番の名を見て、一寸《ちょっと》哀愁《あいしゅう》を覚えた。
二
七月二十二日。
土用三郎と云うに、昨日の夕立以来、今日も曇《くも》って涼しいことである。
白桔梗《しろききょう》、桔梗の花が五つ六つ。白っぽけた撫子《なでしこ》の花が二つ三つ。芝生《しばふ》の何処かで、※[#「虫+慈」、下巻−68−4]※[#二の字点、1−2−22]※[#二の字点、1−2−22]《じじじ》と虫が鳴いて居る。
寂《さび》しい。
見る/\小さな雨がほと/\落ちて来た。
寂しい。
[#ここから3字下げ]
夏さびし桔梗《きちかう》の花五つ六つ小雨《こさめ》まじりに虫の声して
[#ここで字下げ終わり]
三
七月三十日。
例《れい》によって芝苅り。終って、桃の木の下で水蜜桃《すいみつとう》の立喰《たちぐい》。
大きなプリマウス種の雄鶏《おんどり》が、鶏舎の外で死んで居た。羽毛が其処《そこ》此処《ここ》にちらかって居る。昨夜鶏舎の戸をしめる時|誤《あやま》って雄鶏をしめ出したので、夜中|鼬《いたち》に襲《おそ》われたのである。随分死の苦しみをしたであろうに、家の者はぐっすり寝込《ねこ》んで些《ちっと》も知らなかった。昨秋以来鼬の難《なん》にかゝることこゝに五たびだ。前度に懲《こ》りて、鶏舎の締《しま》りを厳重にしたが、外にしめ出しては詮方《しかた》が無い。梨《なし》の木の下に埋葬。
午後東京から来た学生の一人が、天皇陛下|今暁《こんぎょう》一時四十三分|崩御《ほうぎょ》あらせられたと云う事を告げた。
陛下崩御――其れは御重態《ごじゅうたい》の報伝わって以来|万更《まんざら》思い掛けぬ事ではなかったが。
園内《えんない》を歩いて陛下の御一生を思うた。
東の方を見ると、空も喪装《もそう》をしたのかと思われて、墨色《すみいろ》の雲が東京の空をうち覆《おお》うて居る。暮れ方になって降り出した。
四
七月三十一日。
欝陶《うっとう》しく、物悲しい日。
新聞は皆|黒縁《くろぶち》だ。不図新聞の一面に「睦仁《むつひと》」の二字を見つけた。下に「先帝御手跡」とある。孝明天皇の御筆かと思うたのは一瞬時《いっしゅんじ》、陛下は已に先帝とならせられたのであった。新帝陛下の御践祚《ごせんそ》があった。明治と云う年号《ねんごう》は、昨日限り「大正《たいしょう》」と改められる、と云う事である。
陛下が崩御になれば年号も更《かわ》る。其れを知らぬではないが、余は明治と云う年号は永久につゞくものであるかの様に感じて居た。余は明治元年十月の生れである。即ち明治天皇陛下が即位式《そくいしき》を挙げ玉うた年、初めて京都から東京に行幸《みゆき》あった其月東京を西南に距《さ》る三百里、薩摩に近い肥後|葦北《あしきた》の水俣《みなまた》と云う村に生れたのである。余は明治の齢《よわい》を吾齢と思い馴《な》れ、明治と同年だと誇《ほこ》りもし、恥じもして居た。
陛下の崩御《ほうぎょ》は明治史の巻を閉《と》じた。明治が大正となって、余は吾生涯が中断《ちゅうだん》されたかの様に感じた。明治天皇が余の半生《はんせい》を持って往っておしまいになったかの様に感じた。
物哀《ものかな》しい日。田圃向うに飴屋《あめや》が吹く笛の一声《ひとこえ》長く響いて、腸《はらわた》にしみ入る様だ。
五
八月一日。
月の朔《ついたち》で、八幡様に神官が来て、お神酒《みき》が上《あが》る。諒闇《りょうあん》中の御遠慮で、今日は太鼓《たいこ》も鳴らなかった。
今日から五日間お経《きょう》をたてる、と云う言いつぎが来た。先帝の御冥福《ごめいふく》の為。
鶏小屋《とりごや》に大きな青大将が入って、模型卵《もけいらん》をのんだ、と日傭《ひよう》のおかみが知らして来た。往って見ると、五尺もある青大将が喉元《のどもと》を膨《ふく》らして、そこらをのたうち廻《まわ》って居る。卵の積りで陶物《やきもの》の模型卵を呑んで、苦しがって居るのだ。折から来合わして居たT君が、尻尾《しっぽ》をつまんで鶏小屋から引ずり出すと、余が竹竿《たけざお》でたゝき殺した。竹で死体を扱《こ》いたら、ペロリと血だらけの模型卵を吐《は》いた。此頃一向卵が出来ぬと思ったら、此先生が毎日|召上《めしあが》ってお出でたのだ。青大将の死骸《しがい》は芥溜《ごみため》に捨てた。少し経《た》って見たら、如何《どう》したのか見えなかった。復活《ふっかつ》して逃げたのかも知れぬ。
六
八月二日。
紅蜀葵《こうしょくき》の花が咲いた。
甲州|玉蜀黍《とうもろこし》をもぎ、煮《に》たり焼いたりして食う。世の中に斯様《こん》なうまいものがあるかと思う。田園生活も此では中々やめられぬ。
今日は土用中ながら薄寒《うすさむ》い日であった。朝は六十二三度しかなかった。尽日《じんじつ》北の風が吹いて、時々|冷《つめ》たい繊《ほそ》い雨がほと/\落ちて、見ゆる限りの青葉が白い裏《うら》をかえして南に靡《なび》き、寂《さび》しいうら哀《かな》しい日であった。
今日は鶏小屋にほゞ鼬《いたち》と見まごうばかりの大鼠が居た。
七
八月八日。
八月に入って四五日、フランネルを着《き》る様な日が続いた。小雨《こさめ》が降る。雲がかぶさる。北から冷たい風が吹く。例年九月に鳴く百舌鳥《もず》が無暗に鳴いたりした。薄い掻巻《かいまき》一つでは足らず、毛布を出す夜もあった。
今日は久し振《ぶ》りに晴れた。空には一片の雲なく、日は晶々《あかあか》として美しく照りながら、寒暖計は八十二三度を越《こ》えず、涼しい南風《みなみ》が朝から晩まで水の流るゝ様に小止《おやみ》なく吹いた。颯々《さっさつ》と鳴る庭の松。かさ/\と鳴る畑の玉蜀黍《とうもろこし》。ざわ/\と鳴る田川の畔《くろ》の青萱《あおかや》。見れば、眼に入る緑は皆動いて居る。庭の桔梗《ききょう》の紫|揺《うご》き、雁来紅《けいとう》の葉の紅|戦《そよ》ぎ、撫子《なでしこ》の淡紅|靡《なび》き、向日葵《ひまわり》の黄|頷《うなず》き、夏萩の臙脂《えんじ》乱れ、蝉の声、虫の音《ね》も風につれて震《ふる》えた。夕日傾く頃となれば、風はます/\涼しく、樹影《こかげ》は黒く芝生に跳《おど》った。
「秋来ぬと眼にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる」。風の音に驚くばかりかは、さやかに眼に見えて立つ秋の姿《すがた》である。
昨夜は雁声《がんせい》を聞いた。
今朝向うの杉の森に「ツクツクウシ、ツクツクウシ」と云うほのかな秋蝉の声を聞いた。
暦《こよみ》を見たら、今日が立秋である。
八
八月十五日。
此頃のくせで、起き出る頃は、毎《いつ》も満目《まんもく》の霧《きり》。雨だなと思うと、朝飯食ってしまう頃からからりと霽《は》れて、申分なき秋暑《しゅうしょ》になる。
隣の大豆畑に群《むら》がったカナブンの大軍が、大豆の葉をば食い尽《つく》して、今度は自家《うち》の畑に侵入《しんにゅう》した。起きぬけに、夫婦して莚《むしろ》を畑にひろげ、枝豆や苺《いちご》や果樹に群がるカナブンを其上に振《ふる》い落して、石油の空鑵《あきかん》にぶちあけ、五時から八時過ぎまでかゝって、カナブンの約五升を擒《とりこ》にし、熱湯を浴《あび》せて殺した。でもまだ十分の一もとれない。
あまり美事《みごと》の出来だからと云うて、廻沢《めぐりさわ》から大きな水瓜《すいか》唯一個かついで売りに来た。緑地に黒縞《くろしま》のある洋種の丸水瓜《まるすいか》である。重量三貫五百目、三十五銭は高くない。井戸に冷《ひ》やして、午後切って食う。味も好かった。
一月おくれの盆で、墓地が賑《にぎ》やかである。細君が鶴子の為に母屋《おもや》の小さな床に茄子馬《なすうま》をかざり、黒い喪章《もしょう》をつけたおもちゃの国旗をかざり、ほおずきやら烏瓜《からすうり》やら小さな栗やら色々|供物《くもつ》をならべて、于蘭盆《うらぼん》の遊びをさせた。
風鈴《ふうりん》の短冊《たんざく》が先日の風に飛ばされたので、先帝の「星のとぶ影のみ見えて夏の夜も更け行く空はさびしかりけり」の歌を書いて下げた。西行《さいぎょう》でも詠《よ》みそうな
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