目の按摩《あんま》を二人|轢《ひ》き倒し、大分の面倒を惹起《ひきおこ》した。其隣の馬は、節句の遊びに乗った親類の村蔵と云う男を刎《は》ね落して、肩骨《かたぼね》を挫《くじ》き、接骨医《せっこつい》に二月も通わねばならぬ様の怪我をさせ、其為一家の予算に狂いが来て、予定の結婚が半歳も延ばされた。
 だから馬も考えものだ、と皆が言う。
[#地から3字上げ](明治四十五年 六月十七日)
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     つゆ霽れ

 梅雨中とは云いながら、此十日余思わしい日の目も見ず、畳《たたみ》を拭くと新しい雑巾《ぞうきん》が黴《かび》で真黒になった。今日はからりと霽れて、歓《よろこ》ばしい日光の代《よ》になった。待ちかねた様に蝉《せみ》が高音《たかね》をあげる。ほやり/\水蒸気立つ土には樹影《こかげ》黒々と落ち、処女《おとめ》の袖《そで》の様に青々と晴れた空には、夏雲が白く光る。戸、障子、窓の限りを開放《あけはな》して存分に日光と風とを容《い》れる。
 今日の晴を待ちつけた農家は、小踊《こおど》りして、麦うちをはじめた。東でもばた/\、西でもばったばた。東の辰さんの家では、形《なり》は小さいが気前の好い男振りの好い岩公が音頭とりで、「人里《ひとざと》はなれた三軒屋でも、ソレ、住めば都の風が吹《ふ》ゥくゥ、ドッコイ」歌声《うたごえ》賑《にぎ》やかにばったばた。北の金《かね》さん宅《とこ》は口の重い人達ばかり、家族中で歌の一つも歌おうと云う稲公《いねこう》は砲兵に、春っ子は小学校に往って居るので、爺《おやじ》、長男長女、三男の四人《よったり》、歌は歌わぬかわり長男の音公が時々「ヨウ」と懸声に勢《いきおい》をつけて、規則正しくばったばた。西も東も南も北も勇ましい歓喜の勝鬨《かちどき》。聞くからに心《むね》が躍《おど》る。
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つゆ霽《は》れやたう/\/\と麦《むぎ》を撲《う》つ
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[#地から3字上げ](明治四十三年 六月二十九日)
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     有たぬ者

 新宿八王子間の電車線路工事が始まって、大勢の土方《どかた》が入り込み、村は連日《れんじつ》戒厳令の下《もと》にでも住む様に兢々《きょうきょう》として居る。
 天下無敵の強者と云えば、土方人足は其一であろう。彼等は頂天《ちょうてん》立地《りっち》何の恐るゝ処もない赤裸《あかはだか》の英雄である、原人《げんじん》である。彼等は元来裸である。何ものも有《も》たない。有たないから失うことが出来ない。失うものがないから、彼等は恐るゝことを知らぬ。生存競争の戦闘《たたかい》に於て、彼等は常に寄手《よせて》である。唯進んで撃《う》ち而して取ればよいのである。守ると云うは、有つ者の事である。守ると云うは、已に其第一歩に於て敗北《はいぼく》である。
 世には有たぬ程強い事はない。有たぬ者は、すべてのものを有つのである。彼等には明日は無い。昨日も無い。唯今日がある、刹那《せつな》がある。彼等は神を恐れない。王者《おうしゃ》を恐れない。名聞《みょうもん》を思わない。彼等は失うべき富もない。愛《おし》む可き家族も無い。彼等は其れより以下に落つ可き何等の位置も有たない。国家か、何ものぞ。法律か、何の関係ぞ。習慣《しゅうかん》、何の束縛《そくばく》ぞ。彼等は胃の命令と、腸《ちょう》の法律と、皮膚《ひふ》の要求と、舌頭の指揮と、生殖器の催促《さいそく》の外、何の縛《しば》らるゝ処がない。彼等は自然力其ものである。一触《いっしょく》してタイタニックを沈めた氷山である。華麗《かれい》な羅馬の文明を鉄蹄《てってい》に蹂躙《じゅうりん》した北狄《ほくてき》蛮人である。一切の作為《さくい》文明《ぶんめい》は、彼等の前に灰の如く消えて了う。
 土を穿ち、土を移し、土を平《な》らし、土を積む。彼等は工兵の蟻《あり》である。同じ土に仕事する者でも、農は蚯蚓《みみず》である。蚯蚓は蟻を恐れる。
 有つ者にとっては、有たぬ者程恐ろしい者は無い。土方人足の村で恐れられるも尤《もっとも》である。然しながら何ものも有たぬ彼等も、まだ生命《いのち》と云うものを有って居る。彼等は生命を惜《おし》む。此れが彼等の弱点である。有たずに強い彼等も、有てば弱くなる虞《おそれ》がある。世にも恐ろしい者は、其生命さえも惜まぬのみか、如何なる条件をもって往っても妥協《だきょう》の望がない人々である。彼等は何ものを有っても満足せぬ。彼等は全宇宙《ぜんうちゅう》を吾有《わがもの》にしなければ満足せぬ。寧《むしろ》吾を全宇宙に与えなければ満足せぬ。其一切を獲ん為には、有てる一切を捨《す》てゝ了う位は何でもない。耶蘇も仏陀《ぶつだ》も斯恐ろしい人達である。
[#地から3字上げ](明治四十五年 七月十三日)
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     食われるもの

 奥の座敷で日課を書いて居ると、縁に蹲《うずくま》って居た猫のトラがひらりと地に飛び下りた。またひらり縁に飛び上ったのを見ると、蜥蜴《とかげ》を啣《くわ》えて居る。窃《そ》と下ろした。蜥蜴は死んだのか、気絶したのか、少しも動かぬ。トラはわんぐりと喰《く》いはじめた。まだ生きて居ると見えて、蜥蜴の尾《お》が右左に揺《うご》いた。トラは遽《あわ》てず、眼を閉《と》じ、頭を傾《かし》げて、悠々《ゆうゆう》と味わい/\食って居る。小さな豹《ひょう》か虎かを見て居る様で、凄《すご》い。蜥蜴の体は最早トラの胃の中にあるに、切れて落ちた鋼鉄色《こうてついろ》の尾の一片は、小さな一疋の虫かなんぞの様にぐるっと巻《ま》いたりほどけたりして居る。トラめは其れも鵜呑《うのみ》にして了うた。蜥蜴のカタミは何も無い。日は相変らず昭々《しょうしょう》と照らして居る。地球は平気で駛《はし》って居る。木の葉一つソヨがぬ。トラは蜥蜴を食ってしまって、世にも無邪気《むじゃき》な顔をして、眼を閉じて眠って了うた。
 昨日は庭で青白い螟蛉《あおむし》を褐色《かちいろ》のフウ虫二疋で螫《さ》し殺して吸うて居るのを見た。
 一昨日《おととい》は畑を歩いて、苦しい蛙《かわず》の鳴き声を聞いた。ドウしても蛇《へび》にかゝった蛙の鳴き声と思って見まわすと、果然《はたして》二尺ばかりの山かゞしが小さな蛙の足を啣《くわ》えて居る。余は土塊《つちくれ》を投げつけた。山かゞしは蛇の中でも精悍《せいかん》なやつである。蛙の腿《もも》を啣えながら鎌首《かまくび》をたてゝ逃げて行く。竹ぎれを取って戻《もど》ると、玉蜀黍《とうもろこし》の畑に見えなくなった了うた。

 優勝《ゆうしょう》劣敗《れっぱい》は天理である。弱肉強食は自然である。宇宙は生命《いのち》のとりやりである。然し強いものゝ上に尚強いものがあり、弱いものゝ下に尚弱いものがある。而して一番弱いものが一番強いものに勝つ場合もある。顕微鏡下《けんびきょうか》に辛《かろ》うじて見得る一|細菌《さいきん》が、神の子だイヤ神だと傲《おご》る人間を容易に殺して了うではないか。畢竟《ひっきょう》宇宙は大円《だいえん》。生命は共通。強い者も弱い。弱い者も強い。死ぬるものが生き、生きるものが死に、勝つ者が負け、負ける者が勝ち、食う者が食われ、食われるものも却て食う。般若心経《はんにゃしんきょう》に所謂、不増不減不生不滅不垢不浄、宇宙の本体は正に此である。
 然し我等は人間である。差別界《しゃべつかい》に住んで居る。煩悩《ぼんのう》もある。愚痴《ぐち》もある。我等は精神的に生きんと欲する如く、肉体の命も惜しい。吾情を以て他を推す時、犠牲《ぎせい》の叫《さけ》びは聞きづらい。
 ダァヰン[#「ダァヰン」に傍線]の兄弟分ワレース[#「ワレース」に傍線]博士は、蛇にのまるゝ蛙《かわず》は苦しい処ではない、一種の温味《おんみ》にうっとりとなって快感《かいかん》を以て蛇の喉《のど》を下るのだ、と云うた。大役《たいえき》小志《しょうし》の志賀氏は、旅順戦役を描《か》いて、決死の兵士は精神的《せいしんてき》高調《こうちょう》に入って、所謂苦痛なるものを大《たい》して感じない、と云って居る。如何にも道理で、また事実さもあろうと思わるゝ。
 然し我々は人間である。犠牲の声は聞きづらい。
[#地から3字上げ](明治四十五年 七月二十日)
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     蜩

 今年の自家《うち》の麦は、大麦も小麦も言語道断の不作だ。仔細は斯様《こう》である。昨秋の麦蒔《むぎまき》に馬糞《ばふん》を基肥《もとごえ》に使った。其れが世田ヶ谷騎兵聯隊から持って来た新しい馬糞で、官馬の事だから馬が食ってまだよく消化《しょうか》しない燕麦《えんばく》が多量に雑《まじ》って居た。総じて新しい肥料はよくないものだが、自家《うち》には堆肥《たいひ》の用意がない為に、拠所《よんどころ》なく新しい馬糞に過燐酸《かりんさん》を混じて使った。麦が生《は》えると同時に、馬糞の中の燕麦が生えた。麦が伸《の》びると、燕麦も伸びた。燕麦は麦より強い。麦に追肥《おいごえ》をやると、燕麦が勝手に吸《す》ってしまってドン/\生長する。麦畑《むぎばた》が一面燕麦の畑の様になった。非常な手数をかけて一々燕麦をぬいたが、最早《もう》肝腎《かんじん》の麦は燕麦に負けて其《その》穂《ほ》は痩《や》せこけたものになって居た。肥料が肥料を食ってしまったのである。世には斯様《こん》な事が沢山ある。
 トルストイの遺著《いちょ》の中、英訳になった劇「生《い》ける屍《しかばね》」を読む。トルストイ化した「イナック、アヽデン」と云う様なものだ。「暗黒《あんこく》の力《ちから》」程の力は無いが、捨てられぬ作である。
 縁の籐椅子《とういす》に腰かけて右のドラマを読んで居ると、トルストイ翁の顔やら家族の人々の顔やらが眼の前に浮ぶ。今日《きょう》は七月一日、丁度六年前ヤスナヤ、ポリヤナに居た頃である。曇《くも》ったり晴《は》れたりする空《そら》、上《のぼ》ったり下ったりする丘《おか》、緑が茂って、小麦が熟《う》れて、余の今の周囲も其時に似《に》て居る。
 最早はっきりとは文字の見えぬ本を膝《ひざ》にのせて、先刻《さっき》から音もなく降って居た繊《ほそ》い雨の其まゝ融《と》けた蒼《あお》い夕靄《ゆうもや》を眺めて居ると、忽ち向うの蒼い杉の森から、
「リン、――リン、リン」
 白銀《はくぎん》の鈴《りん》を振る様な鋭い蜩《ひぐらし》の音が響いた。
[#地から3字上げ](明治四十五年 七月一日)
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     夏の一日

 眼をさますと、真裸《まっぱだか》で寝て居る。外では最早|蜩《ひぐらし》が鳴いて居る。蚊帳外《かやそと》の暗い隅では、蚊が※[#「口+云」、第3水準1−14−87]々《うんうん》唸《うな》って居る。刎《は》ね起きて時計を見れば、五時に十分前。戸をくると、櫟林《くぬぎばやし》から朝日の金光線が射《さ》して居る。
 顔を洗うと、真裸で芝生に飛び下り、磨《と》ぎ立ての鎌《かま》で芝を苅りはじめる。雨の様な露だ。草苅《くさかり》は露の間《ま》の事。ざくり、ざくり、ザク、ザク。面白い様に苅れる。
 足を洗《あら》って、体《からだ》を拭いて、上ると八時。近来朝飯ぬきで、十時に牛乳《ちち》一合。
 今日は少し日課を書いた。
 朝餐《あさめし》の午餐は赤の飯だ。今日は細君の誕生日《たんじょうび》である。昨日何か手に隠して持って来たのを、開けて見たら白髪《しらが》が三本だった。彼女にも白髪が生《は》えたのだ。余は十四五から五本や十本の白髪はあった。兎に角部分的には最早《もう》偕白髪《ともしらが》と云う域《いき》に達した訳である。
 主婦《しゅふ》の誕生日だが、赤の飯に豆腐汁で、鰯《いわし》の一尾も無い。午前に果樹園《かじゅえん》を歩いて居たら、水蜜の早生《わせ》が五つばかり熟《じゅく》して居るのを見つけた。取りあえず午餐の食卓に上《のぼ》す。時にとっての好いお祝。
 今日は夏になって以来の暑《あつ》い日だ。午後は到頭室内九十度に上った。千歳村の生活を
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