近来よく降る。降らなければ曇《くも》る。所謂|養花《ようか》の天。
今日は日が出た。朝から暖《あたたか》だ。鶏の声が殊に長閑《のどか》に聞こえる。昨日終日終夜の雨で、畑も土も真黒に潤うた。麦の緑が目立って濃《こ》うなった。緑の麦は、見る眼の驩喜《よろこび》である。其れが嫩《やわ》らかな日光に笑《え》み、若くは面を吹いて寒からぬ程の微風《びふう》にソヨぐ時、或は夕雲《ゆうぐも》の翳《かげ》に青黒く黙《もだ》す時、花何ものぞと云いたい程美しい。
隣家では最早《もう》馬鈴薯《じゃがいも》を植えた。
午後少し高井戸の方を歩く。米俵を積んだ荷馬車が来る。行きすりに不図目にとまった馬子《まご》の風流《ふうりゅう》、俵《たわら》に白い梅の枝が插《さ》してある。白い蝶が一つ、黒に青紋《あおもん》のある蝶が一つ、花にもつれて何処までもひら/\飛んで跟《つ》いて行く。馬子は知らずに好い声を張り上げて、
「飲めよ、ネェ、騒げェよ、三十がァ止《と》ゥめェよゥ。三十|過《す》ぎればァ、たゞの人《ひいと》ゥ。コラ/\」
朝の模様で、今日は美晴と思われたが、矢張気の定まらぬ日であった。時々ざあと時雨《しぐれ》の様に降っては止み、東に虹《にじ》が出たり、西に日が現《あら》われて遠方の屋根が白く光ったり、北風が来て田圃《たんぼ》の小川の縁《ふち》とる女竹《めたけ》の藪《やぶ》をざわ/\鳴らしてはきら/\日光を跳《おど》らせたりした。空《そら》の一部は印度藍色《いんどあいいろ》に濃《こ》く片曇《かたくも》りし、村と緑の麦の一部は眩《まぶ》しい片明《かたあか》りして、ミレーの「春」を活かして見る様であった。
(四)摘草
三月八日。
今日も雲雀《ひばり》が頻に鳴く。
午食前《ひるめしまえ》に、夫妻鶴子ピンを連れて田圃に摘草《つみくさ》に出た。田の畔《くろ》の猫柳が絹毛《きぬげ》の被《かつぎ》を脱いで黄《きい》ろい花になった。路傍《みちばた》の草木瓜《くさぼけ》の蕾《つぼみ》が朱《あけ》にふくれた。花は兎に角、吾儕《われら》の附近《あたり》は自然の食物には極めて貧しい処である。芹《せり》少々、嫁菜《よめな》少々、蒲公英《たんぽぽ》少々、野蒜《のびる》少々、蕗《ふき》の薹《とう》が唯三つ四つ、穫物《えもの》は此れっきりであった。
午後|本《ほん》を読んで居ると、空中《くうちゅう》に大きな物の唸《うな》り声が響く。縁から見上げると、夏に見る様な白銅色の巻雲《けんうん》を背《うしろ》にして、南の空《そら》に赤い大紙鳶《おおだこ》が一つ※[#「風+昜」、第3水準1−94−7]《あが》って居る。ブラ下げた長い長い二本の縄《なわ》の脚《あし》を軟《やわ》らかに空中に波うたして、紙鳶《たこ》は心《こころ》長閑《のどか》に虚空《こくう》の海に立泳《たちおよ》ぎをして居る。ブーンと云うウナリが、武蔵野一ぱいに響き渡る。
春だ。
晩食に摘草の馳走。野蒜の酢味噌《すみそ》は可《か》、ひたし物の嫁菜は苦《にが》かった。
(五)彼岸入り
三月十八日。彼岸の入り。
風はまだ冷《つめ》たいが、雲雀の歌にも心なしか力《ちから》がついて、富士も鉛色《なまりいろ》に淡《あわ》く霞《かす》む。
庭には沈丁花《ちんちょうげ》の甘《あま》い香《か》が日も夜も溢《あふ》れる。梅は赤い萼《がく》になって、晩咲《おそざき》紅梅《こうばい》の蕾がふくれた。犬が母子《おやこ》で芝生《しばふ》にトチ狂《くる》う。猫が小犬の様に駈《か》け廻《まわ》る。
春だ。
彼岸入りで、団子《だんご》が出来た。
墓参が多い。
夕方、静《しずか》になった墓地に往って見る。沈丁花《ちんちょうげ》、赤椿《あかつばき》の枝が墓前《ぼぜん》の竹筒《たけつつ》や土に插《さ》してある。線香《せんこう》の烟《けむり》が徐《しず》かに※[#「風+昜」、第3水準1−94−7]《あが》って居る。不図見ると、地蔵様の一人《ひとり》が紅木綿《べにもめん》の着物を被《き》て居られる。先月|幼《おさ》な娘を亡《な》くした松さんとこで被《き》せ申したのであろう。
(六)蛇出穴
三月二十八日。
近来の美晴。朝飯後高井戸に行って、石を買う。武蔵野に石は無い。砂利《じゃり》や玉石《たまいし》は玉川|最寄《もより》から来るが、沢庵《たくあん》の重石《おもし》以上は上流|青梅《あおめ》方角から来る。一貫目一銭五厘の相場《そうば》だ。択《えら》んだ石を衡《はかり》にかけさせて居たら、土方体《どかたてい》の男が通りかゝって眼を※[#「目+登」、第3水準1−88−91]《みは》り、
「石を衡にかける――驚いたな」
と云った。
午後は田圃《たんぼ》伝いに船橋《ふなばし》の方に出かける。門を出ると、墓地で蛇を見た。田圃の小川の※[#「木+威」、第4水準2−15−16]《いび》の下では、子供が鮒《ふな》を釣《つ》って居る。十丁そこら往って見かえると、吾家も香爐《こうろ》の家《いえ》程に小さく霞《かす》んで居る。
今日は夕日の富士が、画にかいた「理想《りそう》」の様に遠くて美しかった。
(七)仲春
四月十七日。
戸を開《あ》けて、海――かと思うた。家を繞《めぐ》って鉛色《なまりいろ》の朝霞《あさがすみ》。村々の森の梢《こずえ》が、幽霊《ゆうれい》の様に空《そら》に浮いて居る。雨かと舌鼓《したつづみ》をうったら、霞《かすみ》の中からぼんやりと日輪《にちりん》が出て来た。見る/\日の威力は加わって、光は白く霞に咽《むせ》ぶ。
庭の桜の真盛りである。落葉松《らくようしょう》、海棠《かいどう》は十五六の少年と十四五の少女を見る様。紫の箱根つゝじ、雪柳《ゆきやなぎ》、紅白の椿、皆真盛り。一重山吹も咲き出した。セイゲン、ヤシオなど云う血紅色《けっこうしょく》、紅褐色《こうかっしょく》の春モミジはもとより、槭《もみじ》、楓《かえで》、楢《なら》、欅《けやき》、ソロなどの新芽《しんめ》は、とり/″\に花より美しい。
畑に出て見る。唯《ただ》一叢《ひとむら》の黄なる菜花《なのはな》に、白い蝶が面白そうに飛んで居る。南の方を見ると、中っ原、廻沢《めぐりさわ》のあたり、桃の紅《くれない》は淡く、李は白く、北を見ると仁左衛門の大欅《おおけやき》が春の空を摩《な》でつゝ褐色《かっしょく》に煙《けぶ》って居る。
春の日も午近くなれば、大分青んで来た芝生に新楓《しんふう》の影|繁《しげ》く、遊びくたびれて二《ふた》つ巴《ともえ》に寝て居る小さな母子《おやこ》の犬の黒光《くろびか》りする膚《はだ》の上に、桜《さくら》の花片《はなびら》が二つ三つほろ/\とこぼれる。風が吹く。木影《こかげ》が揺《うご》く。蛙が鳴く。一寸《ちょっと》耳をびちっと動かした母犬《おやいぬ》は、またスヤ/\と夢をつゞける。
夕方は、まんまるな紅《あか》い日が、まんじりともせず悠々《ゆうゆう》と西に落ちて行く。横雲《よこぐも》が一寸|一刷毛《ひとはけ》日の真中を横に抹《なす》って、画にして見せる。最早《もう》穂《ほ》を孕《はら》んだ青麦《あおむぎ》が夕風にそよぐ。
夜は蛙の声の白い月夜。
[#地から3字上げ](明治四十三年)
[#改ページ]
ある夜
梅に晩《おそ》く桜に早い四月一日の事。
余は三時過ぎから、ある事の為にある若い婦人を伴うて、粕谷から高輪《たかなわ》に往った。午後の六時から十一時過ぎまで、ある家の主人を訪うてある事を弁じつゞけ、要領を得ずして其家を辞した時は、最早十二時近かった。それでも終電車に乗るを得て、婦人は三宅坂《みやけざか》で下りて所縁《しょえん》の家へ、余は青山で下りて兄の家に往った。
寝入り端《ばな》と見えて、門を敲《たた》けど呼べど叫べど醒めてくれぬ。つい近所に姪《めい》の家があるが、臨月近い彼女を驚かすのも面白くない。余は青山の通を御所《ごしょ》の方へあるいて、交番に巡査を見出し、其指図で北町裏の宿屋を一二軒敲き起した。寤めは寤たが、満員と体の好い嘘《うそ》を云って謝絶された。
電車はとくに寝に往って了った。夜が明けたら築地の病院に腫物《しゅもつ》を病《や》んで入院して居る父を見舞うつもりで、其れ迄新橋停車場の待合室にでも往って寝ようと、月明りと電燈瓦斯の光を踏んで、ぶら/\溜池の通を歩いて新橋に往った。往って見ると此は不覚《ふかく》、扉《と》がしまって居る。駅夫《えきふ》に聞くと、睡むそうな声して、四時半まではあけぬと云う。まだ二時前である。
電燈ばかり明るくてポンペイの廃墟《はいきょ》の様に寂《さび》しい銀座の通りを歩いて東へ折れ、歌舞伎座前を築地の方へ往った。万年橋の袂《たもと》に黙阿弥の芝居に出て来そうな夜啼《よなき》饂飩《うどん》が居る。夜は丑満《うしみつ》頃《ごろ》で、薄寒くもあり、腹も減《へ》った。
「おい、饂飩を一つくれんか」
「へえ」
灯《ひ》の蔭から六十近い爺《おやじ》が顔を出して一寸余を見たが、直ぐ団扇《うちわ》でばたばたやりはじめた。後の方には車が二台居る。車夫の一人は鼾《いびき》をかいて居る。一人は蹴込《けこみ》に腰を据《す》えて、膝かけを頭からかぶって黙って居る。
「へえ、出来ました」
割箸《わりばし》を添えて爺が手渡す丼《どんぶり》を受取って、一口《ひとくち》啜《すす》ると、腥《なまぐさ》いダシでむかッと来たが、それでも二杯食った。
「おい、もう二つこさえて呉れ」
余は代を払い、「ドウモ御馳走様! おい、旦那が下さるとよ」と車夫が他の一人を呼びさます声を聞きすてゝ万年橋を渡った。つい其処の歌舞伎座の書割《かきわり》にある様な紅味《あかみ》を帯びた十一日の月が電線《でんせん》にぶら下って居る。
築地外科病院の鉄扉《てっぴ》は勿論しまって居た。父のと思わるゝ二階の一室に、ひいた窓帷《まどかけ》越《ご》しに樺色《かばいろ》の光がさして居る。余は耳を澄ました。人のうめき声がしたかと思うたが、其は僻耳《ひがみみ》であったかも知れぬ。父は熟睡《じゅくすい》して居るのであろう。其子の一人が今病室の光《あかり》を眺《なが》めて、此《この》深夜《よふけ》に窓の下を徘徊して居るとは夢にも知らぬであろう。
睡《ねむ》くなった。頭がしびれて来た。何処でもよい、此重い頭を横たえたくなった。余はうつら/\と夢心地に本願寺の近辺をぶらついた。体で余は歩かなかった。幽霊のようにふら/\とさまようた。不図墓地に入った。此処は余も知って居る。曾て一葉《いちよう》女史《じょし》の墓を見に来た時歩き廻った墓地である。余は月あかりに墓と墓の間を縫《ぬ》うて歩いた。誰やらの墓の台石《だいいし》に腰かけて見た。然し此処は永く眠るべき場所である。一夜の死を享《う》く可き場所ではない。余は墓地から追い出されて、また本願寺前の広場に出た。
不図本願寺の門があいて居るのを見つけた。門口には巡査か門番かの小屋《こや》があって、あかりがついて居る。然し誰|咎《とが》むる者も無いので、突々《つつ》と入って、本堂の縁《えん》に上った。大分西に傾いた月の光は地を這《は》うて、本堂の縁は闇《くら》い蔭《かげ》になって居る。やっと安息の場所を獲《え》て、広縁《ひろえん》に風呂敷を敷き、手枕《たまくら》をして横になった。少しウト/\するかと思うと、直ぐ頭の上で何やらばさ/\と云う響がした。余は眼を開《あ》いて頭上《ずじょう》の闇《やみ》を見た。同時に闇の中に「ク※[#二の字点、1−2−22]ク※[#二の字点、1−2−22]」と云う囁《ささ》やきを聞いた。
「あ、鳩《はと》だ」
余はまたウト/\となった。
月は次第に落ちて行く。
[#地から3字上げ](明治四十二年 四月一日)
[#改ページ]
与右衛門さん
村の三月節句で、皆が遊んであるく。家は潰《つぶ》され、法律上の妻には出て往かれ、今は実家の厄介《やっかい》になって居る久《ひさ》さんが、何《なに》発心《ほっしん
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