姉上様
*
目出度きクリスマスを遙かに御祝い申上ます。
此のエハガキにある可愛い子供は誰で御座いましょうか。鶴《つる》ちゃんでは御座いませんでしょうか。あまりよく似て居りますもの。とにかく此の児はクリスマスを是非千歳村のなずかしい御家で迎えたいと申します。大急ぎで今出立いたさせますから、よろしく御願い申します。
一千九百○九年|基督降誕《クリスマス》になりて[#地から5字上げ]ブルックリンにて
[#地から3字上げ]馨子
御姉上様に
[#ここで字下げ終わり]
七
明治四十三年二月三日、粕谷草堂の一家が午餐《ごさん》の卓について居ると、一通の電報が来た。お馨《けい》さんの兄者人《あにじゃひと》からである。眼を通した主人は思わず吁《ああ》と叫んだ。
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馨急病にて死せりと
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妻は声を立てゝ哭《な》いた。
主人《あるじ》は直ちに葛城の母と長兄を訪《たず》ねた。彼は面目ない心地がした。若し死が人生の最大不幸なら、お馨さんの渡米を沮《はば》んだ彼人々は先見の明があったのである。彼は其足で更にお馨さんの父母を訪うことにした。銀座で手土産《てみやげ》の浅草海苔を買ったら、生憎《あいにく》「御結納《おんゆいのう》一式調進仕候」の札が眼につく。昨年の春頼まれもせぬ葛城家の使者としてお馨さんの実家に約婚の許諾を獲に往った彼は、一年もたゝぬに此様《こん》な用事で二たび其家を訪おうとは思わなかった。
終列車は千葉までしか行かなかった。彼は千葉に泊《とま》って、翌朝房総線の一番に乗った。停車場に下りると、お馨さんの兄さんが待って居た。兄さんは赤い紙に書いた葛城から来た電文を見せた。
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馨子急病昨夜世を去る
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とある。兄さんはまた、父は非常に興奮《こうふん》して、終夜《よすがら》酒を飲み明かし、母や私に出て行けと申しますと云った。
岩倉家の玄関で車を下りると、お馨さんの阿爺《おとうさん》が出て来た。座に請《しょう》ぜられて、一つ二つ淀みがちな挨拶をすると、阿爺さんが突然わァッと声を立てゝ哭《な》いた。少し話してまた声を放って哭いた。やがて阿母《おっかさん》が出て来た。沈着な阿母も、挨拶半に顔が劇しく痙攣《けいれん》して、涙と共に声を呑んだ。彼は人の子を殺した苛責《かしゃく》を劇しく身に受け、唯黙って辞儀ばかりした。
やがて酒が出た。彼は平生一滴も飲まぬが、今日はせめてもの事に阿爺《おとうさん》阿母《おかあさん》と盃の取りやりをしるしばかりした。岩倉家では丁度十四になる末から三番目の女を、阿母の実家にやる約束をして、其祝いをして居る所にお馨さんの訃報《ふほう》が届いたのだそうだ。丁度お馨さんが米国で亡くなった其晩に、阿母さんが玄関の式台に靴の響《おと》を聞きつけ、はッとして出て見たら誰も居なかったそうである。魂《たましい》の彼女は其時早く太平洋を渡って帰って来たのであった。
彼はお馨さんの兄さんと共に葛城家へ往ってあとの相談をすることにした。阿爺さんは是非新築中の別荘を見て呉れと云って、草履《ぞうり》をつッかけて案内に立った。酒ぶとりした六十翁の、溝《みぞ》を刎《は》ね越え、阪を駈《か》け上る元気は、心の苦から逃《のが》れようとする犠牲のもがきの様で、彼の心を傷《いた》ませた。やがて別荘に来た。其は街道の近くにある田圃の中の孤丘《こきゅう》を削《けず》って其上に建てられた別荘で、質素な然し堅牢《けんろう》なものであった。西には富士も望まれた。南には九十九里の海――太平洋の一片が浅黄《あさぎ》リボンの様に見える。お馨さんは去年此処の海を犬吠ヶ崎の方へ上って米国に渡ったのである。「如何です、海が見えましょう。馨が見えるかも知れん」と主翁《しゅおう》が云う。広々とした座敷を指して、「葛城さんが帰って来たら、此処《ここ》で祝言《しゅうげん》させようと思って居ました」と主翁がまた云う。
彼は一々胸に釘うたるゝ思であった。
八
お馨さん死去の電報に接して二週間目の二月十六日、午餐《ごさん》の席に郵便が来た。彼此と撰《よ》り分けて居た妻は、「あらッ、お馨さんが」と情けない声を立てた。
其はお馨さんが亡くなる二週間余り前のはがきであった。
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新年をことほぎ参《まい》らせ候。
御正月になりましたら、精《くわし》い御手紙を認《したた》めたいと思うて思うて居りましたが、御正月も元旦からいつもと同じに働いて休みなどは取れませんでしたから、つい/\御無沙汰いたしました。随分久しく御無沙汰申上ました。御許様《おんもとさま》御家内皆々様には御変りも御座いませんか。私はいつもながら達者で、毎日/\働いて居ります。其後は何の変りもなく無事に病院で勤めて居ります。知らぬ内に種々の事を覚えて行きます。
御正月にはホームシックにかゝりまして実に淋しく、毎日千歳村のなつかしい御家族の御写真のみ眺めて居りました。私は只神の御助けと御導きにより只神の御保護を信じて其日を暮して居ります。いずれ後より精《くわ》しく申上ます。御なずかしきまゝに一寸申上ました。
一月十三日[#地から5字上げ]米国ブルックリンにて
[#地から3字上げ]岩倉馨子
姉上様
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彼世《あのよ》からのたよりが又一つ来た。其はお馨さんが臨終《りんじゅう》十一日前の手紙であった。
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クリスマスと新年の祝いも、いつしか過ぎ去りまして、はや今日は二十日《はつか》正月となりました。昨年《さくねん》の御正月には、御なずかしき御家に上りまして、御雑煮《おぞうに》の御祝いに預りました。今でも実に何ともかとも申されぬなずかしきその時の光景《ありさま》を追懐《ついかい》いたします。実に月日の過ぎ行くのは早いもので御座いまして、もはや当地に参りましてから年の半分は立ちました。此様《こん》なですから、また御目にかゝる事の出来得る日は近きにある事と思います。
次に私事は相かわらず此病院で働いて居ります。三ヶ月程前から忙《せ》わしき婦人の病室の方へ参りましたもので、夜になって室に帰りましても、筆を取る勇気もなく過しましたが、二三日前から前に居《お》った病室に帰りましたので、非常に楽《らく》になりました。
三ヶ月間は実に苦しい思いをいたしました。然し実によい経験を得ました。私は日本の看護婦のトレーニングにつきましては、どんなか少しも知りませんが、米国のトレーニング、スクールは、たしかに日本よりは勝《まさ》って居ると思います。随分軍隊と同じような組織で、きびしゅう御座います。実にある点は高尚で完全ですが、またある点は劣《おと》って居る処もありますよう思われます。日本に居りました時とすっかり何から何まで変って居りまして、働いた事とて別に朝から夕までつゞけた事もありませんで、生活が全く異って居りますから、実に苦しく感じました。
近頃は朝から夕まで一度も腰もかけなくとも平気で働いて居ります。然し三ヶ月の間は、実に困りまして、幾度も止めようかと思いましたが、とう/\つゞけました。仕事が苦しいばかりでなく、上のヘッドの看護婦が余り人物の人でないもので、下の私共は実に辛《つら》く思いました。実に忙《せわ》しいと申しましたら、あのような思いは実に/\初めてゞ御座います。若し日本に居ってならば、とても私には勤まりません。此処ではいや応なしですから、とにかく務めて居ります。私は卒業はするかしないか、私はどうしてもいやになれば明日にも止める積りで居ります、たゞ葛城が米国に居ります間は、厄介をかけるのが気の毒ですから、どうか続けたく思います。
友人の中にも、なか/\よい家庭に育って性質のよい人もありますが、また意地の悪い人もあります。やはり面も性質も日本人と同じで御座います。人類ですから、やはり皆人情は同じで御座います。
私は自分のベストを尽して居ります。親切と正直とを旨《むね》として居ります。病人もよくなついて呉れますし、自分の受持の病人には満足を与える事が出来ましたから、此れは自分の第一の宝《たから》と思うてよろこんで居ります。家に帰る時は、皆よろこんで感謝して帰りますから、是れが私の楽しみで御座いました。
婦人の病室に居りました時は、何から何まで一切世話をせねばなりませんし、中には老人で不随の人もありますから、床ずれの出来ぬようにそれ/″\手あてもせねばなりませんし、何ともかとも申されぬ程忙わしゅう御座います。大抵十二人位の人の世話を一人でいたしますし、また他の病室の病人の事も世話をせねばなりませんから、実に苦しゅう御座います。
看護法の実例なぞは、校長が一々生徒を集めて教えて呉れます。また今は医師が解剖《かいぼう》と生理など講じて居ります。昨年はバクテリヤについて講義もきゝました。また校長が自ら看護法など学術的に教えて居ります。講義なども、学術の名は私は知りませんから、なか/\むずかしいですが、またこちらの人もあまりよくは知りませんから、共に勉強して居ります。むずかしいですが、少しは興味が御座います。看護婦は医学の事も知らねばなりませんから、余程勉強せねばなりません。一日一日と少しずつ何かと覚えて参りますから、有り難く思うて居ります。初めての米国にてのクリスマス、余り楽しくも御座いませんでしたが、然しクリスマスの時は、此処《ここ》でもなか/\にぎやかで御座いました。当日は四時間|暇《ひま》が取れました。クリスマスディナーも御座いまして、なか/\盛んで御座います。皆々上機嫌で、うれしそうで御座います。
学校でもクリスマスにはクリスマスダンスが御座いました。私は生れて初めて真の舞踏会と云うものを見ました。実に優美なもので御座います。夜の八時頃から翌朝の二時か三時まで踊《おど》って居ります。元気のよいのには、おどろきました。私は夜会服のかわりに日本服を久々で着ました。皆々非常によろこんでくれました。
御正月には休みもなく、元日から常と同じに働きました。御正月には何となく故郷《ふるさと》がなずかしく、さびしくって堪《たま》りませんでした。毎日/\忙わしく働いて居りますから、常にはホームシックも起りませんが、半日|暇《ひま》の時などは、実にさびしくて堪らぬ事があります。余り私は外出はいたしません。少なくも一週間に一度は出て、外の変った空気をすわねばならぬと知りつゝも、疲れるのがいやなので、つい/\出ません。当地の人は皆元気です。夜十二時に帰っても、翌日はやはり同じに務めます。学校では、一週に一度は十二時までの許しを貰えますし、三度は十一時までの許を貰えますし、常には十時までは何処に行ってもかまわぬようになって居ります。此処は感心で御座います。此の様に自由でも少しも乱れません。日本の女学校などには、見ようと思うても見られぬ処で御座いましょう。
私は今は自分で働いて自分で生活して居りますから、日本に居った時よりも、苦しみながらも、或一種の愉快が御座います。
葛城はユニオンの方も卒業に近づきました。早いもので、三年も束《つか》の間に過ぎ去りました。いつも私共は御なずかしき御両人様《おふたりさま》の御噂のみいたして居ります。千歳村、実になずかしく思います。
大抵二週間に一度は、逢います。前から私はニューヨークには独りで参れますから、半日暇を取れる時は、二週に一度は参ります。
当地は実に寒さはきびしゅう御座いまして、雪は度々降りますが、家の中の寒防《かんぼう》はよく備わって居りますから、家の中の温度は、春のような気候で御座います。私はシモヤケは毎年出来ましたが、今年は冷《つめた》い思いなどは少しもいたしませんから、手はきれいで、少しも出来ませんから御安心下さいませ。日本に居りました時は、シモヤケには困りました。外は随分寒く、身を切らるゝ様で御座います。雪が降りますと、なか/\溶《と》けませんで、幾日も/\つもって居
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