て居る位で、此富豪翁も子女の教育には余程身を入れて居るのであった。
 障子に日がさして来た。障子を明けると、青空に映《うつ》る花ざかりの大きな白木蓮《はくもくれん》が、夜来の風雨に落花狼藉、満庭雪を舗《し》いて居る。推参の客は主翁に対して久しぶりに嘘《うそ》と云うものを吐《つ》いた。彼は葛城家の使者だと云うた。お馨さんを将来葛城勝郎の妻に呉れと云うた。旅費学資は一切葛城家から出すによって、お馨さんを米国へ遣ってくれと云うた。学校は師範学校見た様なもので、育児衛生を旨とすると云うた。主翁は逐一聞いた上で、煙管《きせる》をポンと灰吹《はいふき》にはたき、十二三の召使の男児《おのこ》を呼んで御寮様《ごりょうさま》に一寸御出と云え、と命じた。やがてお馨さんの母者人が出て来た。よくお馨さんに肖て居る。十一人の子供を育て、恐ろしい吾儘者《わがままもの》の良人に仕えて、しっかり家を圧《おさ》えて行く婦人の尋常の婦人であるまいと云う事は、葛城家の偽使者も久しく想う処であった。主翁は今一応先刻の御話をと云うた。似而非《えせ》使者《ししゃ》は、試験さるゝ学生の如く、真赤な嘘を真顔で繰り返えした。母者人は顔の筋一つ動かさず聴いて居た。主翁は兎も角|忰《せがれ》や親戚の者共とも相談の上追って御返事すると云うた。「|六ヶ敷《むつかし》いな」彼は斯く思いつゝ帰途に就いた。
 然しながら天はお馨さんに味方するかと思われた。彼女の父は意外にも承諾を与えた。旅券も手に入った。而《そう》して葛城が米国へ向け乗船した二年と三月目の明治四十二年の七月六日、横浜出帆の信濃丸で米国に向うた。葛城の姉、お馨さんの長兄夫婦、末の兄、お馨さんによく肖た妹達は、桟橋《さんばし》でお馨さんを見送った。粕谷の夫妻も見送り人の中にあった。妹達は涙を流して居た。水草の裾模様《すそもよう》をつけた空色《そらいろ》絽《ろ》のお馨さんは、同行の若い婦人と信濃丸の甲板から笑みて一同を見て居た。彼女は涙を堕《おと》し得なかった。其心はとく米国に飛んで居るのであった。船はやおら桟橋を離れた。空色《そらいろ》衣《ぎぬ》の笑貌《えがお》の花嫁は、白い手巾《はんかち》を振り/\視界の外に消えた。

       六

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乗船いたしましてから五日目になりますが、幸に海は非常に静かで……友人と同室で御座いますから心配もなく、朝より夕まで笑いつゞけて居る次第にて、非常に幸福で愉快に暮して居ります。互に語り、読書し、議論し、歌を唱い、少しも淋しき事はなく暮して居ります。非常に元気なる故、隣室よりうらやましがられて居る程で御座います。……然し葛城は下等で荷物同様な取扱いをされて非常に苦しんで参りましたのに、私は上等室にて御客様扱いを受けて安楽に暮らして居りますから済《す》まぬような申訳なきような心地がいたして居ります。
     七月十日[#地から5字上げ]信濃丸にて
[#地から3字上げ]馨子
   愛する御姉君に参らす
         *
去廿一日午後無事シヤトルに上陸いたしましたから、御安心下さいませ、……明日朝九時発の汽車でニューヨークに参ります。
     七月廿四日夜[#地から5字上げ]シヤトルにて
[#地から3字上げ]馨子
   姉上様
         *
昨日ニューヨークに着いたし、漸く目的の地に達し得候まゝ誠にうれしく存じ居り候。……葛城よりもよろしく、非常によろこび居り候。
     七月卅一日[#地から5字上げ]ニューヨークにて
[#地から3字上げ]馨子
   姉上様
         *
身の平和、心の喜、筆にも言葉にも尽されず候。
[#地から3字上げ]勝郎
あまりのうれしさに、今の米国は天国に候。
     八月三日[#地から3字上げ]馨子
        ニューヨークにて
         *
前略、無事にニューヨークに着きました。ニューヨークの停車場から独りで学校へ行く積りで居りましたら、思いもかけず葛城が迎えに来て居りました。手紙では随分強い事を申してよこしましたが、来て見れば非常によろこんで、よく来たと申して居ります。
前月の十日に病院に参りまして、直ぐ其日から働きました。慣れぬ業《わざ》と言葉が始めは聞き取れぬので実に困りましたが、だん/\と慣れてよくなりました。実に病院の仕事はハードで御座います。
朝の七時から夜の七時までは腰も掛る事が出来ず、始終立って居りますから、足が痛くて/\実に初めは困りました。然し一日の内二時間は休めますから、一日の働時間は十時間で御座います。身体の工合のよき時はともかく、悪しき時は実にいやになります。慣れぬ仕事の上に一日立ちきりで御座いますから、身体の工合が妙になりまして、種々な変動を起しますが、慣れゝばよろしくなるとの事で御座います。
私は今は外科室の患者が四十人ばかり居る室で働いて居ります。随分ひどい重傷の人も居ります。脊骨《せぼね》を挫《くじ》いた人が三人程に、火傷《やけど》の人や、三階や二階から落ちた人や、盲腸炎《もうちょうえん》の人や、なか/\種々な種類の患者が居ります。
脊骨が折れても余病さえ起さねば大丈夫で御座います。一人は肺炎を起して死にましたが、後の二人は丈夫で居りますが、然し実に痛たそうで随分気の毒で御座います。初めは手術室から帰って来た患者の側《そば》に居って看護をいたします事が一番恐ろしく、殊に睡眠剤《すいみんざい》の臭《におい》が鼻について自分が心地が悪くなりましたが、近頃は慣れて平気になりました。それからどんないやな恐ろしい事でも、自分がせねばならぬと思いますれば、何でも出来ます。未だ初めで御座いまして、ベッドを作る事や、病人の敷布《しいつ》をかえる事や、器械を煮《に》て消毒する事や、床ずれの出来ぬように患者の脊《せなか》をアルコールで擦《こす》る事や、氷嚢やら湯嚢《ゆたんぽ》やらをあてゝやったり、呑物《のみもの》を作って与えましたり、何やかやと、一日を忙《せ》わしく、足は棒のようになりまして、七時に室に帰って参りましても、疲れて起きて居る事が出来ません程で御座います。
朝は六時に起きまして、六時半に食堂に参りますが、初めは慣れぬし、三十分間に顔を洗い髪を結い制服を着、また床をなおす事が出来ませんでしたが、今では出来得るようになりました。慣れゝば十五分位でも出来得るようになるそうで御座います。見ないで後《うしろ》のボタンを掛けるのがむずかしく、出来ないで始めはよわりましたが、いつの間にか慣れて来ました。昼は忙《せ》わしいのと、夜は疲れますので、つい/\気《き》不調法《ぶちょうほう》にもなりまして、皆様に御無沙汰を申上て居ります。然し夢はなつかしき千歳村の御宅の様子や、また私の母や妹の事など夢みます。いつも夢では日本に居ります。未だ此の地に参りましてから西洋の夢は見ません。年来聞き及びました理想を実際に行う事が出来まして、実に愉快《ゆかい》に思います。患者は米国人も居れば、独乙人《どいつじん》、伊太利人、ギリーク人、黒色人、実にあらゆる人を交えて居ります。初めは何だか異人のような気がして妙でしたが、今は平気になりまして、黒人でも誰でも自分の同胞の如く思われ、出来得るだけ親切に世話してやりたいと務めて居ります。初めは患者の方でも妙に思うたらしゅう御座いましたが、近頃ではよくなずいて、随分よくおとなしくして居てくれますし、病人の方から親切に語をかけてくれますようになりました。
校長もよろしい御方で、親切にして居て下さいます。私も日本に居りました時は、丈夫でいばりましたが、ニューヨークに参りましてから余り丈夫ではなく、風土やら食物やら万事が変った故で御座いましょう、昨日からも少し工合が悪しく寝て居りましたら、校長も度々見舞に来て呉れますし、なか/\手厚き看護して呉れますから、感謝いたして居ります。今日は午後から病院の働きに出ようと思いましたが、校長から許しが出ませんから、病院に参りませんで、床の上に座《すわ》って先日から書きかけました御手紙を書きつゞけました。
葛城は明年ユニオンを卒業いたしますから、出ましたら直ぐ独乙へ行って二年程居って、それから直ぐ日本へ帰りたいと申して居ります。私は身体《からだ》のつゞく限りは病院に居りたいと思うて居ります。出来るなら卒業をしたいと思いますが、卒業せぬでもかまいませんが、とにかく半年居ってもためになると思います。……葛城も本月の三日頃からとう/\働きに参りました。随分やはり骨が折れるそうで、気の毒に思いますが、少しは働いて見た方がよろしいと思います。……前には手紙を書いてから見るまでは一月もかゝりましたが、今は四時間程たてば手紙は参りますし一時間かゝればニューヨークにも行かれます、一週間に一度は多分逢えますから、幸福に思うて居ります。私は是非とも三四年は米国に居りたく思うて居ります、今の処では。
葛城は米国嫌いで、来年になったら直ぐ独乙へ行くと申して居ります。私も独乙行を勧めて居ります。是非行くようにと望んで居ります。
ニューヨークへ行きますには、地下の電車でも、亦エレベーターでもどちらでも取って参れます。私は近頃はニューヨークに独りで参れるようになりました。……御蔭様にて只今は満足して感謝して働いて居ります。少しも日本に未《ま》だ帰りたく思いません。永く米国に居りたく思います。米国に参りまして気が清々《せいせい》となりました。葛城が居りますから、何かと心強う御座います。然し手足まといにならぬよう世話にならぬようには充分致して居ります。末筆ながら鶴子様にはどんなに御可愛らしくいらっしゃいましょう。鶴子様位の御子様を見ます度に思い出されます。毎朝小児科の方に三つ四つの床を作りに参りますが、此の頃では子供も慣れて言葉をかけ、また私が帰ります時にはグードバイと皆口々に可愛いゝ声で叫《さけ》んでくれますから、可愛くて堪《たま》らなくなります。可愛いゝ子供も赤児《あかんぼ》も沢山居ります。どうか御姉上様にも御丈夫でいらっして下さいませ。
     九月八日[#地から5字上げ]ブルックリン病院にて
[#地から3字上げ]馨子
   御なつかしき
    御姉上様
        御まえに
身体の工合が悪いと申しましたが、大した事は御座いません。殊《こと》に病院で御座いますから、病気の心配は少しも御座いませんから、御安心下さいませ。
         *
もはや秋となりました。故郷《ふるさと》を思い出す時は、第一に粕谷の御家をなずかしく思い出します。去る八日、校長より学生として他の見習いの生徒と共に受け入れられ、今はキャプも貰《もら》い受け、真の看護婦になりました。無事に二ヶ月の苦しい見習いの時代は終りましたから、御安心下さいませ。
     十月十二日[#地から5字上げ]ブルックリン病院にて
[#地から3字上げ]馨子
   姉上様
         *
御はがきと御写真、夢ではないかとあやしむ程うれしく御なずかしく拝見いたしました。……相かわらず働きが激《はげ》しいので、私のような者には、身体《からだ》がとても続かぬと思いましたから止めようと思いましたが、然し倒れる迄は病院に居る積りで居ります。只信仰をもって神の助けによって日々の務をいたして居ります。
     十月廿四日[#地から5字上げ]ブルックリン病院にて
[#地から3字上げ]馨子
   姉上様
         *
十一月三日、今日は天長節で御座いますが、私に取っては何の変りもなく今日も一日働きました。然しなずかしき故郷《ふるさと》の事が今日は一しお恋しくなずかしく思われます。其後は如何御過し遊ばされますか。いつも御なずかしく、先日御送り下さいました御写真を眺めては自分の弱さを励まして居ります。私は其後変りもなく自分の天職と信じて従事いたして居りますから、御安心下さいませ。先ず御なずかしきまゝに一寸御伺いいたしました。
     十一月三日[#地から5字上げ]ブルックリンにて
[#地から3字上げ]馨子
 
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