説に関し、自身の懊悩《おうのう》を述べ、自分の様な鈍根の者は、一切を抛擲《ほうてき》して先ず神を見る可く全力を傾注する勇気が無い、と嘆息して帰った。
其後久しく消息を聞かなかったが、今夜一年ぶりに突然君は来訪したのであった。
君の所要は、先月|茅《ち》ヶ崎《さき》で物故した一文士に関する彼の感想を聞くにあった。彼は故人について取りとめもない話をした。故人と彼とは同じ新聞社の編輯局《へんしゅうきょく》に可なり久しく居たのであったが、故人は才華発越、筆をとれば斬新警抜《ざんしんけいばつ》、話をすれば談論火花を散らすに引易え、彼はわれながらもどかしくてたまらぬ程の迂愚《うぐ》、編輯局の片隅に猫の如く小さくなって居たので、故人と心腹を披《ひら》いて語る機会もなく、故人の方には多少の侮蔑《ぶべつ》あり、彼の方には多少の嫉妬《しっと》羨望《せんぼう》あり、身は近く心ははなれ/″\に住んだ。其後故人も彼も前後に新聞社を出て、おの/\自家《じか》の路を歩み、顔を見ること稀に、消息を聞かぬ日多く打過ぎた。然し彼は一度故人と真剣の話をしたいと久しく思うて居た。日露戦争の終った年の暮、彼は一の心的革命を閲《けみ》して、まさに東京を去り山に入る決心をして居た時、ある夜彼は新橋停車場の雑沓《ざっとう》の中に故人を見出した。何処《どこ》ぞへ出かけるところと覚しく、茶色の中折《なかおれ》をかぶり、細巻の傘を持ち、瀟洒《さっぱり》した洋装をして居た。彼は驚いた様な顔をして居る故人を片隅《かたすみ》に引のけて、二分間の立話をした。彼は従来の疎隔《そかく》を謝し、自愛を勧め、握手して別れた。これが最始《さいし》の接近で、また最後の面会であった。
M君と彼の話は、故人の事から死生の問題に入った。心霊の交感、精神療法と、話は色々に移って往った。
彼等は久しく芝生の縁代《えんだい》で話した。M君が辞《じ》し去ったのは、夜も深《ふ》けて十二時近かった。
彼はM君を八幡下まで送って別れた。夏ながら春の様なおぼろ月、谷向うの村は朦朧《ぼんやり》とうち煙り、田圃《たんぼ》の蛙《かわず》の声も夢を誘う様なおぼろ夜である。
「それじゃ」
「失礼」
駒下駄の音も次第《しだい》に幽《かすか》になって、浴衣《ゆかた》姿《すがた》の白いM君は吸わるゝ様に靄《もや》の中に消えた。
*
其後ふっつりM君の消息を聞かなかったが、翌年《よくとし》ある日の新聞に、M君が安心《あんしん》を求む可く妻子を捨てゝ京都|山科《やましな》の天華香洞《てんかこうどう》に奔《はし》った事を報じてあった。間もなく君は東京に帰って来たと見え、ある雑誌に君が出家の感想を見たが、やがて君が死去の報は伝えられた。
見神の一義に君は到頭《とうとう》精力《せいりょく》を傾注《けいちゅう》せずに居られなくなったのである。而《しか》して生涯の大事《だいじ》、生存の目的を果したので、君は軽く肉の衣《ころも》を脱いだのであろう。
[#改ページ]
ヤスナヤ、ポリヤナ[#「ヤスナヤ、ポリヤナ」に二重傍線]の未亡人へ
一
夫人《おくさん》。
私は夙《とく》に手紙を差上げねばならなかったのでした。実は幾回《いくたび》も幾回もペンを執《と》ったのでした。ペンを執りは執りながら、如何《どう》しても書くことが出来なかったのです。今日《きょう》、ビルコフ[#「ビルコフ」に傍線]さんの書いた故先生小伝の英訳を見て居ましたら、丁度先生の逝去《せいきょ》六週間前に撮影されたと云う先生とあなたの写真が出て居ました。熟々《つくづく》見て居る内に、私の眼は霞《かす》んで来ました。嗚呼ものが言いたい! 話がしたい! 然し先生は最早《もう》霊です。私の拙《まず》い言葉を仮《か》らずとも、先生と話すことが出来ます。書くならあなたに書かねばならぬ。そこで此手紙を書きます。私はうちつけに書きます。万事直截其ものでお出のあなたは、私が心底《しんそこ》から申すことを容《ゆる》して下さるだろうと思います。
二
何から申しましょうか。書く事があまり多い。最初先生の不可思議《ふかしぎ》な遽《にわ》かの家出を聞いた時、私は直ぐ先生の終が差迫《さしせま》って来た事を知りました。それで先生の訃《ふ》に接した時も、少しも驚きませんでした。勿論先生を愛する者にとっては、先生の最期は苦しい最期でした。何故《なぜ》先生は愛妻愛子愛女の心尽しの介抱《かいほう》の中に、其一片と雖も先生を吾有《わがもの》と主張し要求し得ぬものはない切っても切れぬ周囲の中に、穏《おだやか》に死なれる事が何故出来なかったでしょうか? 何故其生の晩景《ばんけい》になって、あわれなひとり者の死に様をする為に其温かな巣《す》からさまよい出られねばならなかったのでしょうか? 世故《せこ》を経尽《へつく》し人事を知り尽した先生が、何故其老年に際し、否《いや》墓に片脚《かたあし》下《おろ》しかけて、釈迦牟尼《しゃかむに》の其生の初に為《せ》られた処をされねばならなかったか? 世間は誰しも斯く驚き怪《あやし》みました。不相変|主我的《しゅがてき》だと非難した者も少なくありませんでした。一風《いっぷう》変《かわ》った天才の気まぐれと笑ったのは、まだよい方かも知れません。先生もつらかったでしょう。然し夫人《おくさん》、悲痛の重荷は偏《ひとえ》にあなたの肩上に落ちました。あなたの経歴された処は、思うも恐ろしい。長い長い生涯の間、先生と棲《す》んで先生を愛されたあなたが、此世の旅の夕蔭《ゆうかげ》に、見棄てゝしまわれた様な姿になられようとは! 而《そう》してトルストイ[#「トルストイ」に傍線]の邪魔物は此であると云った様に白昼《ひるひなか》世界の眼の前に曝《さら》しものになられようとは! 夫人、誰かあなたに同情をさゝげずに居られましょう乎。如何に頑固な先生の加担者《かとうど》でも、如何程|苦《にが》り切ったあなたの敵対者《てきたいしゃ》でも、堪え難いあなたの苦痛と断腸《だんちょう》の悲哀《かなしみ》とは、其幾分を感ぜずに居られません。彼池の滸《ほと》りの一刹那《いっせつな》を思うては、戦慄《せんりつ》せずには居られません。
三
然し夫人、世に先生を非難する者の多かった様に、あなたを非難する者も少くありませんでした。白状します、私も其一人でした。トルストイ[#「トルストイ」に傍線]と云う様な偉大な名は、世界の目標です。先生や先生の一家一門の所作《しょさ》は、万人の具《つぶさ》に瞻《み》る所、批評の的《まと》であります。そこで先生の哀《かな》しい最期前後の出来事は、如何様《どのよう》な微細な事までも、世界中の新聞雑誌に掲載されて、色々の評判を惹起《ひきおこ》しました。私は漏らさず其記事を見ました。無論|誤報《ごほう》曲説《きょくせつ》も多かったでしょう。針小棒大《しんしょうぼうだい》の記事も沢山あったに違いありません。然し打明けて云えば、其記事については、私は非常に心を痛《いた》むる事が多かった。打明けて云えば、夫人、私はあなたに対して少からぬ不平があったのです。勿論白が弥《いや》白くなれば、鼠色《ねずみいろ》も純黒《まっくろ》に勢《いきおい》なる様なもので、故先生があまりに物的《ぶってき》自我《じが》を捨てようとせられた為、其反動の余勢であなたは実際以上に自己を主張されねばならぬ様なハメになられたこともありましょう。それでなくても、婦人は自然に物質的になる可き約束の下《もと》にあるのです。先生が産《さん》を治《おさ》むる事をやめられてから、一家の主人役に立たれたあなたが、児孫《じそん》の為に利益を計り権利を主張し、切々《せっせ》と生活の資を積む可く努められたのも、致方はないと云った様な御気の毒なわけで、あなたの方から云えば先生にこそ不平あれ、先生から不足を云われる事はない筈です。と、誰も然《そう》申しましょう。然し夫人、生計を立つると云うも、程度の問題です。あなたが家の為を思わるゝあまり、ノーベル賞金を辞された先生に不満を懐《いだ》かれたり、何万ルーブルの為に先生の声を蓄音器に入れさせようとしたり、其外種々|仁人《じんじん》としても詩人としても心の富、霊の自由、人格の尊厳《そんげん》を第一位に置く霊活不覊《れいかつふき》なる先生の心を傷《いた》むるのは知れ切った事まで先生に強《しい》られたのは、あまりと云えば無惨《むざん》ではありますまいか。あなたはトルストイ[#「トルストイ」に傍線]の名を其様《そんな》に軽いやすっぽいものに思ってお出なのでしょう乎。「吾未だ義人《ぎじん》の裔《すえ》の物乞いあるくを見し事なし」とソロモン[#「ソロモン」に傍線]は申しました。トルストイ[#「トルストイ」に傍線]の妻は其《その》夫《おっと》をルーブルにして置かねばならぬ程貧しい者でしょう乎。トルストイ[#「トルストイ」に傍線]の子女は、其父を食わねば生きられぬ程《ほど》腑甲斐《ふがい》ないものでしょう乎。私にはあなたがハズミに乗って機械的に為《せ》られたと思う外、ドウもあなたのお心持が分かりません。全く正気の沙汰とは思われかねるのです。莫斯科《モスクワ》の小店なぞに切々《せっせ》と売溜《うりだめ》の金勘定ばかりして居るかみさんのマシューリナ、カテーリナならいざ知らず、世界のトルストイ[#「トルストイ」に傍線]の夫人の挙動《ふるまい》としては、よく云えばあまりに謙遜《けんそん》な、正《まさ》しく云えばあまりに信仰がない鄙《さもし》い話ではありますまい乎。私は先生の心中が思われて、つらくてなりません。昔先生が命をかけて惚《ほ》れられた美しい素直なソフィ[#「ソフィ」に傍線]嬢は、斯様《こん》な心の香《か》の褪《うつろ》った老伯爵夫人になってしまわれたのでしょう乎。其れから先生|逝去《せいきょ》後の御家の挙動《ふるまい》は如何です? 私はしば/\叫びました、先生も先生だ、何故《なぜ》先生は彼様な烈しい最後《さいご》の手段を取らずに、犠牲となって穏《おだやか》に家庭に死ぬることが出来なかっただろう乎、あまりに我強《がづよ》い先生であると。然し此は先生がトルストイ[#「トルストイ」に傍線]である事を忘れたからの叫びです。誰にでも其人|相応《そうおう》の生き様《よう》があり、また其人相応の死に様があります。トルストイ[#「トルストイ」に傍線]の様な人でトルストイ[#「トルストイ」に傍線]の様な境遇にある者は、彼様な断末魔《だんまつま》が当然で且自然であります。少しも無理は無い。余人にあっては兎も角も、先生にあっては彼様《ああ》でなくては生の結末がつかぬのです。一切の人慾《じんよく》、一切の理想が恐ろしい火の如く衷《うち》に燃えて闘《たたこ》うた先生には、灰色《はいいろ》にぼかした生や死は問題の外なのです。あなたに対する真《しん》の愛から云うても、理想に対する操節《そうせつ》から云っても、出奔《しゅっぽん》と浪死《ろうし》は必然の結果です。仮に先生が其趣味主張を一切胸に畳《たた》んで、所謂家庭の和楽《わらく》の犠牲となって一個の好々翁《こうこうおう》として穏にヤスナヤ、ポリヤナ[#「ヤスナヤ、ポリヤナ」に二重傍線]に瞑目《めいもく》されたとして、先生は果してトルストイ[#「トルストイ」に傍線]たり得たでしょう乎。其死が夫人《おくさん》、あなたをはじめとして全世界に彼様《あん》な警策《けいさく》を与えることが出来たでしょう乎。彼《あの》最後《さいご》彼|臨終《りんじゅう》あるが為に、先生等身の著作、多年の言説に画竜《がりゅう》の睛《せい》を点《てん》じたのではありますまい乎。確に然です。トルストイ[#「トルストイ」に傍線]は手軽に理想を実行してのける実行家では無い、然しトルストイ[#「トルストイ」に傍線]は理想を賞翫《しょうがん》して生涯を終《おわ》る理想家で無い、トルストイ[#「トルストイ」に傍線]は一切の執着《しゅうちゃく》煩悩《ぼんのう》
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