て右手《めて》を頸《くび》から釣って、左の手で不精鎌《ぶしょうがま》を持って麦畑の草など親分が掻いて居るのを見たのは二月も後《あと》の事だった。喧嘩の仲入《なかいり》に駈けつけた隣の婆さんは、側杖《そばづえ》喰《く》って右の手を痛めた。久さんのおかみは、詫《わ》び心に婆さん宅の竈《へっつい》の下など焚《た》きながら、喧嘩の折節《おりふし》近くに居合わせながら看過《みすぐ》した隣村の甲乙を思うさま罵って居た。

       七

 田畑は勿論《もちろん》宅地《たくち》もとくに抵当《ていとう》に入り、一家中|日傭《ひやとい》に出たり、おかみ自身《じしん》手織《ており》の木綿物《もめんもの》を負って売りあるいたこともあったが、要するに石山新家の没落は眼の前に見えて来た。「お広さん、大層《たいそう》精《せい》が出ますね」久さんが挽く肥車の後押して行くおかみを目がけて人が声をかけると、「天狗様《てんごうさま》の様に働くのさ」とおかみが答えたりしたのは、昔の事になった。おかみは一切稼ぎを廃《よ》した。而して時々丸髷に結って小ざっぱりとした服装《なり》をして親分と東京に往った。家には肴屋が出入した
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