家に帰ることを得《え》為《せ》なかった。それに婆《ばあ》さんは亡くなった爺さん同様酒を好んだ。本家の婿は耶蘇教信者で、一切酒を入れなかった。久さんのおかみは時々姑に酒を飲ました。白髪頭《しらがあたま》の婆さんは、顔を真赤にして居ることがあった。彼女は時々吾儘を云う四十男の久さんを、七つ八つの坊ちゃんかなんどの様に叱った。尻切《しりきれ》草履突かけて竹杖《たけづえ》にすがって行く婆さんの背《うしろ》から、鍬《くわ》をかついだ四十男の久さんが、婆さんの白髪を引張ったりイタズラをして甘えた。酒でも飲んだ時は、※[#「女+息」、第4水準2−5−70]に負け通しの婆さんも昔の権式を出して、人が久さんを雇いに往ったりするのが気にくわぬとなると、「お広《ひろ》、断わるがいゝ」と啖呵《たんか》を切った。
四
死んだ棄児《すてご》の稲次郎が古巣に、大工の妾と入れ代りに東京から書《ほん》を読む夫婦の者が越して来た。地面は久さんの義兄のであったが、久さんの家で小作をやって居た。東京から買主が越して来ぬ内に、久さんのおかみは大急ぎで裏の杉林の下枝を落したり、櫟林の落葉を掃いて持って行ったり
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