ないと聞いて居る。府中まではざッと四里、これは熟路《じゅくろ》である。時計を見れば十一時、ちと晩《おそ》いかも知れぬが、然し夏の日永の折だ、行こう行こうと云って、早昼飯を食って出かけた。
 大麦小麦はとくに刈《か》られて、畑も田も森も林も何処を見ても緑《みどり》ならぬ処もない。其緑の中を一条《ひとすじ》白く西へ西へ山へ山へと這《は》って行く甲州街道を、二人は話しながらさッさと歩いた。太田君は紺絣《こんがすり》の単衣、足駄ばきで古い洋傘《こうもり》を手挾《たばさ》んで居る。主人の彼は例のカラカフス無しの古洋服の一張羅《いっちょうら》に小豆革の帯して手拭を腰にぶらさげ、麦藁の海水帽をかぶり、素足《すあし》に萎《な》えくたれた茶の運動靴をはいて居る。二人はさッさと歩いた。太田君は以前社会主義者として、主義《しゅぎ》宣伝《せんでん》の為、平民社の出版物を積んだ小車をひいて日本全国を漫遊しただけあって、中々健脚である。主人は歩くことは好きだが、足は云う甲斐もなく弱い。一日に十里も歩けば、二日目は骨である。二人は大胯《おおまた》に歩いた。蒸暑《むしあつ》い日で、二人はしば/\額の汗を拭《ぬぐ》うた
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