《うずまさ》を通って帰る車の上に、余は満腔《まんこう》の不平を吐《は》く所なきに悶々《もんもん》した。
 斯く云う自分も其仲間だが、何故《なぜ》我日本国民は斯く一途《いちず》になるであろう乎。彼は中々感服家で、理想実行家である。趣味の民かと思うたら、中々以て実利実功の民である。東叡山を削平《さくへい》して、不忍《しのばず》の池を埋めると意気込み、西洋人の忠告によって思いとまった日本人は、其功利の理想を盛に上方《かみがた》に実行して居る。億万円にも代えられぬ東山の胴《どう》をくりぬいて琵琶湖の水を引張《ひっぱ》って見たり、鴨東《おうとう》一帯を煙と響《おと》と臭《におい》に汚《けが》してしまったり、狭《せま》い町内に殺人電車をがたつかせたり、嵐山へ殺風景を持込《もちこ》んだり、高尾の山の中まで水力電気でかき廻《ま》わしたり、努力、実益、富国、なんかの名の下に、物質的|偏狂人《へんきょうじん》の所為《しょい》を平気にして居る。心ある西洋人は何と見るだろう乎《か》。
 京都、奈良、伊勢、出来ることなら須磨明石舞子をかけて、永久日本の美的博物館たらしむ可きで、其処《そこ》に煙突の一本も能う可く
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