か》を買うて来て、川に浸《ひた》して置いて食ったりした。余は今記念の為に、川に下りて川水の中から赤い石と白い石とを拾《ひろ》った。清滝川は余にとりて思出《おもいで》多い川である。栂尾に居た年から八年程後、斯少し下流|愛宕《あたご》の麓《ふもと》清滝の里に、余は脚気《かっけ》を口実に、実は学課をなまけて、秋の一月を遊び暮らし、ミゼラブルばかり読んで居たことがある。
 栂の尾から余等は広沢《ひろさわ》の池を経《へ》て嵐山に往った。広沢の池の水が乾《ほ》されて、鮒《ふな》や、鰌《どじょう》が泥の中にばた/\して居た。
 嵐山の楓は高尾よりもまだ早かった。嵐山其ものと桂川《かつらがわ》とは旧に仍って美しいものであったが、川の此岸《こなた》には風流に屋根は萩《はぎ》で葺《ふ》いてあったが自働電話所が出来たり、電車が通い、汽車が通い、要するに殺風景《さっぷうけい》なものになり果てた。最早三船の才人《さいじん》もなければ、小督《こごう》や祇王《ぎおう》祇女|仏御前《ほとけごぜん》もなく、お半長右衛門すらあり得ない。
「暮れて帰れば春の月」と蕪村《ぶそん》の時代は詩趣満々《ししゅまんまん》であった太秦
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