むすめ》のお銀は、立派に莫連の後を嗣いで、今は何処ぞに活躍して居ます。
 お広さんを愛したり捨てたりした親分七右衛門|爺《じい》さんは、今年|亡《な》くなり、而してやはり隣の墓地に葬られました。大きな男でしたが、火葬されたので、送葬《そうそう》の輿《こし》は軽く、あまりに軽く、一盃機嫌で舁《か》く人、送る者、笑い、ざわめき、陽気な葬式が皮肉でした。可惜《あたら》男《おとこ》をと私はまた残念に思うたのでありました。
「村入」の条に書いた私共の五人組の組頭《くみがしら》浜田の爺さんも、今年の正月八十で亡くなりました。律義な爺さんの一代にしっかり身上《しんしょう》を持ち上げ、偕白髪《ともしらが》の老夫婦、子、孫、曾孫の繁昌を見とどけてのめでたい往生でした。いつも莞爾々々《にこにこ》して、亡くなる前日まで縄《なわ》を綯《な》うたりせっせと働いて居ました。入棺前、別れに往って見ると、死顔《しがお》もにこやかに、生涯労働した手は節《ふし》くれ立って土まみれのまま合掌して居ました。これは代田《だいだ》街道《かいどう》側《わき》の墓地に葬られました。
 それから与右衛門さんとこのお婆さん、「信心なんか
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