しませんや」と言うて居たお婆さんも亡くなりました。根気のよいお婆さんで、私も妻も毎々《まいまい》話しこまれて弱ったものです。居なくなって、淋しくなりました。「否《いな》と云へど強《し》ふるしひのがしひがたり、ちかごろ聞かずてわれ恋《こ》ひにけり」と万葉《まんよう》の歌人が曰《い》うた通りです。私共が外遊から帰ると、お婆さんは「四国《しこく》西国《さいごく》しなすったってねえ」と感にたえたように妻に云うて居ましたが、今は彼女自身遠く旅立ってしまいました。彼女は文ちゃんの爺さんが葬られて居る北の小さな墓地に葬られました。其処にはお婆さんには孫、与右衛門さんには嗣子《あととり》であったきつい気の忠《ちゅう》さん、海軍の機関兵にとられ、肺病になって死んだ忠さんも葬られて居ます。
 草履作りが名人の莞爾々々《にこにこ》した橋本のお爺さん、お婆さん、其隣の大尽の杉林のお婆さん、亡くなった人人も二三に止まりません。年寄りが逝《ゆ》くのは順ですが、老少不定の世の中、若い者、子供、赤ン坊の亡くなったのも一人や二人でありません。前に言うた忠さん、それから千歳村墓地敷地買収問題の時、反対|側《がわ》の頭目《
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