んも亡くなりました。文ちゃんの爺《じい》さんも亡くなりました。文ちゃんは稼《かせ》ぎ人《にん》で、苦しい中から追々|工面《くめん》をよくし、古家ながら大きな家を建てゝ、其家から阿爺《おやじ》の葬式も出しました。「斯様《こん》な家から葬式を出してもらうなんて、殿様だって出来ねえ事だ」と皆が文ちゃんの孝行をほめました。「腫物」に出た石山の婆さんも本家で亡くなりました。それは大正七年でしたが、其前年の暮《くれ》に「腫物」の女主人公、莫連《ばくれん》お広《ひろ》も亡くなりました。お広さんは石山新家を奇麗に潰《つぶ》して了うた後、馴染《なじみ》の親分と東京に往って居ました。「草とりしても、東京ではおやつに餅菓子が出るよ」なんか村の者に自慢して居ました。其内親分がある寡家《ごけ》に入り浸《びた》りになって、お広さんが其処に泣きわめきの幕を出したり、かかり子の亥之吉が盲唖学校を卒業して一本立になっても母親を構《かま》いつけなかったり、お広さんの末路は大分困難になって来ました。金に窮すると、石山家に来ては、石山さんの所謂『四両五両といたぶって』行きました。到頭|腎臓《じんぞう》が悪くなり、水腫《みずば
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