《ひがしどなり》の墓地に葬られました。其葬式には最初私共に千歳村を教えた「先輩の牧師」も東京から来て、「下曾根信守之墓」「我父の家には住家多し」と云う墓標の文字も其人の筆で書かれました。
其葬式には、塚戸小学校の前校長H君も来て居ました。Hさんは越後の人、上野《うえの》の音楽学校の出で、漢文が得意です。明治二十九年に千歳村に来て小学校長となり、在職二十五年の長きに及びました。村人として私共より十二年も前です。私共夫妻が最初千歳村に来て、ある小川の流れに菜《な》を洗う女の人に道問うた其れはH夫人であったそうです。私共が外遊から帰って来ると、H君は二十五年の小学校奉仕を罷《や》めて、六十近く新に進出の路を求めねばならぬ苦境に居ました。其後帝大に仕事を見出し、日々村から通うて居ましたが、このたび都合により吉祥寺の長男の家と一つになると謂《い》うて告別に来たのは、つい此新甞祭の当日でした。地下に他郷に古い顔馴染《かおなじみ》が追々遠くなるのは淋しいものです。
村の名物が段々無くなります。本文の「葬式」に出た粕谷で唯一人の丁髷《ちょんまげ》の佐平《さへい》爺《じい》さんも亡くなり、好人の幸さ
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