根《しもぞね》信守《のぶもり》君を葬りました。六十九歳でした。下曾根さんは旧幕名家の出、伊豆|韮山《にらやま》の江川太郎左衛門と相並んで高島秋帆門下の砲術の名人であった下曾根金之丞は父でした。砲術家の三男に生れた下曾根さんは、夙《つと》に耶蘇教信者となり、父とは違った意味の軍人―耶蘇教伝道師になりました。先《せん》にも数年間調布町に住んで伝道し、会堂が建つばかりになって、会津へ転任して行きました。其後調布の耶蘇教が衰微《すいび》し、会堂は千歳村の信者が引取り、粕谷に持って来ました。本文の初に、私共が初めて千歳村に来て見た会堂がそれです。随分見すぼらしい会堂でした。村住居はしても、会堂の牧師になる事を私が御免蒙ったので、信者の人々は昔馴染《むかしなじみ》の下曾根さんをあらためて招聘《しょうへい》したのでした。下曾根さんは其時もう五十を過ぎ、耳が遠く、招かれても働きは思うように出来ぬと断ったそうですが、養老の意味で、たって来てもらったとの事です。私共が村入りの二月《ふたつき》目に下曾根さんは来て、信者仲間の歓迎会には私共も共々お客として招かれたのでありました。私共に代って貧乏籤《びんぼうく
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