の大破《たいは》を片づけたり、地蔵様を抱《だ》き起したりしてくれました。後《あと》は前述の如く素人大工で済ませて置きます。九月一日の午餐と夕食は、母屋の庭の株《かぶ》立ちの山楓《やまもみじ》の蔭でしたためました。今夜十二時前後に大震が来るかも知れぬ、世田ヶ谷の砲兵聯隊で二発大砲が鳴ったら、飛び出してくれ、という不思議な言いつぎが来て、三日の夜の十一時半から二時頃まで、庭の※[#「木+解」、第3水準1−86−22]《かしわ》の木に提灯《ちょうちん》つるして天の河の下で物語りなどして過ごした外は、唯一夜も家の外には寝ませんでした。四日にはもう京王電車が一部分通います。五日には電燈がつきます。十日目には東京の新聞がぼつぼつ来ました。十一日目には郵便が来ました。村の復旧は早い。済まぬ事ですが、震災の百ヶ日も過ぎて私共は未だ東京を見ません。然し程度の差こそあれ、私共も罹災者《りさいしゃ》です。九月一日、二日、三日と三宵に渉《わた》り、庭の大椎《おおしい》を黒《くろ》く染めぬいて、東に東京、南に横浜、真赤に天を焦《こが》す猛火の焔《ほのお》は私共の心魂《しんこん》を悸《おのの》かせました。頻繁な余
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