げ]
母なしとなどかは嘆くわれを生みし
    国土《こくど》日本《にっぽん》とこしへの母
[#ここで字下げ終わり]
 日本近くなった太平洋船中での私の感懐であります。
 帰って丁度一年目の大正十年三月、私共は夫妻共著の「日本から日本へ」を出しました。
 中一年置いて、今大正十二年四月に私は「竹崎順子」を出しました。日露戦争中肥後の熊本で八十一で亡くなった私の伯母――母の姉の実伝で、十八年前の遺嘱《いしょく》を果したのであります。
 それから九月一日の大震にもお蔭で恙《つつが》なく、五十六歳と五十歳のアダム、イヴは、今年七月秋田から呼んだ、デダツ(モンペの方言)を穿《は》いて「奥様、あれ持って来てやろか」と云う口をきく、アイウエオが十分には読めぬ「今」という十四の女中と、Bと名づくる牝猫一疋、淋しい忙しい生活をつづけて居ります。

           *

 世界一周から帰村した三日目の夜、私共は近所の人人を呼んでおみやげ話をしました。ざっと行程を話したあとで、私は曰いました。
[#ここから1字下げ]
世界を一周して見て、日本程好い処はありません。日本では粕谷程好い処はありません。

前へ 次へ
全684ページ中601ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
徳冨 蘆花 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング