[#ここで字下げ終わり]
諸君が手を拍《たた》いて喝采《かっさい》しました。
お世辞ではありません。全然《まったく》です。
私は九州肥後の葦北《あしきた》郡|水俣《みなまた》という海村に生れ、熊本で成長し、伊予の今治、京都と転々《てんてん》して、二十二歳で東京に出で、妻は同じ肥後の菊池郡|隈府《わいふ》という山の町に生れ、熊本に移り、東京に出で、私が二十七妻が二十一の春東京で一緒《いっしょ》になり、東京から逗子、また東京、それから結婚十四年目の明治四十年に初めて一反五畝の土と一棟《ひとむね》のあばら家を買うて夫妻此粕谷に引越して来ました。戸籍まで引いたは、永住の心算《つもり》でした。然し落ち着きは中々出来ないものです。村居七年目に出した「みみずのたはこと」は、開巻第一に臆面《おくめん》もなく心のぐらつきを告白して居ます。永住方針で居たが、果して村に踏みとどまるか、東京に帰るか、もっと山へ入るか、分からぬと言うて居ます。其|挙句《あげく》が前述《ぜんじゅつ》の通り十年のドウ/\廻《めぐ》りです。私は自分の幼稚な吾儘《わがまま》と頑固な気まぐれから、思うようにならぬと謂《い》うては第一
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