福である。仮令《たとい》其信仰の為に財産をなくして人の物笑《ものわらい》となり、政府の心配となるとも、信ずる者は幸福である。彼等の多くは無学である。彼等に教理を問うても、彼等は唯にこ/\と笑うて、立派な言葉で明かに答える事は出来ぬ。然し信仰を説く者必しも信仰を有《も》つ者でない。信ずる彼等は確《たしか》に其信仰に生きて居るのである。
信仰と生活の一致は、容易で無い。何れの信仰でも雑多《ざった》な信者はある。世界の信者が其信仰を遺憾《いかん》なく実現したら、世界は夙《とう》に無事に苦んで居る筈《はず》だ。天理教徒にも色々ある。財産を天理様に捧《ささ》げてしまって、嬉々《きき》として労役者《ろうえきしゃ》の生活をして居る者もある。天理教で財産を耗《す》って、其|報償《むくい》を手あたり次第に徴集《ちょうしゅう》し、助けなき婆さんを窘《いじ》めて店賃《たなちん》をはたる者もある。病気の為に信心して幸に痊《い》ゆれば平気で暴利を貪《むさぼ》って居る者もある。信徒の労力を吸って肥《こ》えて居る教師もある。然し斯《この》せち鹹《から》い世の中に、人知れず美しい心の花を咲かす者も随処《ずいしょ》に
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